【最後の海賊・連載第6回後編】携帯電話事業で鎬を削る楽天・三木谷浩史氏とソフトバンクの孫正義氏は同じ年に「プロ野球」に参入した。似た者同士でありながら異なるビジネス観を持つ2人の経営哲学は、それぞれの球団「鷲(イーグルス)」と「鷹(ホークス)」にも大きな影響を与えていた。週刊ポスト短期集中連載「最後の海賊」、ジャーナリスト・大西康之氏がレポートする。(文中敬称略)
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プロ野球を「ビジネス」と考える三木谷は、語弊を恐れず言えば孫正義が作ったソフトバンクホークスのような「常勝軍団」を目指していない。球団単体での黒字が大命題であり、常に経営のバランスを考えている。目指しているのは複数年契約で年俸数十億円の選手がゴロゴロいながら、リーグとしても高収益をあげているMLBだ。
2004年オフ、同じタイミングで産声を上げた「鷲(イーグルス)」と「鷹(ホークス)」の成り立ちを考えると、プロ野球に対する三木谷と孫の考え方の違いが見えてくる。
イーグルスの誕生は、オリックス・ブルーウェーブと近鉄・バファローズの合併協議に端を発する。1リーグ制の導入なども検討されたが、結局、オリックス・近鉄の合併球団と新規球団のイーグルスが生まれることになり、戦力を振り分ける「分配ドラフト」が行なわれた。岩隈久志のようにオリックスの指名を拒否し、金銭トレードで楽天に入団した選手もいるが、多くの有力選手はオリックスに流れた。
これでは試合にならないので、楽天は山崎武司、関川浩一、飯田哲也ら他球団を自由契約になった選手や無償トレードの対象になった選手をかき集める。まさに「寄せ集め」であった。こんな「オンボロ球団」を作って三木谷は一体、何がしたかったのか。
プロ野球参入を巡ってホリエモンこと堀江貴文や三木谷の名前が連日、メディアで取り沙汰されているころ、西麻布で飲んでいた一人の男の携帯が鳴った。
島田亨。新卒で入社したリクルートで後のUSEN社長となる宇野康秀と出会い、人材派遣のインテリジェンスを創業する。その後、ベンチャー投資家に転じた島田はこの時、39歳。悠々自適の暮らしを楽しんでいた。電話をかけてきたのは三木谷だった。
「島田さん、球団の社長をやってくれませんか」
三木谷が作った新球団がオンボロであることは報道で知っていた。野球は全くの素人である。なぜ自分なのか。島田は逡巡したが、一緒に飲んでいて会話の内容を察知したオールアバウト社長の江幡哲也が肘で島田を突いた。
「球団の経営なんて滅多にできることじゃない。受けろ、受けろ」
島田の頭に新卒で入社したリクルートの社訓が浮かんだ。「自ら機会を作り出し、機会によって自らを変えよ」。リクルート創業者で「天才起業家」と称された江副浩正の言葉である。島田は気を取り直して尋ねた。
「野球を知らない私に、一体何をしろと」
三木谷は短く答えた。
「黒字にしてほしい」