ホンダ(本田技研工業)が9月30日、〈新領域へのチャレンジ〉として、“空飛ぶクルマ”と称される電動垂直離着陸機eVTOLや、遠隔地から操作するアバターロボットの開発などとともに、「宇宙領域へ挑戦」として、人工衛星を宇宙に運ぶ再利用可能な小型ロケットの開発に着手していることを発表した。2030年までに人工衛星を宇宙に運ぶ試験機を打ち上げるとしている。
宇宙を目指す──ホンダが打ち上げた挑戦には、創業者の本田宗一郎から受け継がれる“ホンダイズム”を感じる。ホンダOBたちからも期待の声が上がった。
元本田技術研究所チーフエンジニアの佐藤登・名古屋大学未来社会創造機構客員教授が語る。
「もともと本田宗一郎は『いずれは空を飛びたい』と語っていて、1986年に和光研究センターを発足させ、30年間でホンダジェットという形で空を飛ぶことに成功しました。
ジェット機とロケットでは空の高さが全然違うが、地面を走る技術と地面から離陸する技術の差の方がはるかに大きく、すでに飛ぶ技術を手にしたホンダにとって難易度はこれまでの30年間より低い。
今の現役世代は本田宗一郎と直接関わってはいないが、『自分でやらないと気が済まない』というホンダイズムは脈々と伝わっていると思います」
元ホンダ経営企画部長で、中央大学大学院ビジネススクール戦略経営研究科フェローの小林三郎氏は「本田宗一郎が生きていたら、宇宙事業への参入にはきっと賛成したことでしょう」と言う。
「本田宗一郎は、若い技術者の真剣にやりたいという言葉に耳を傾け、尊重した。宇宙事業もホンダの若い技術者が真剣に挑戦したいと言っているのだと思います」
小林氏は本田技術研究所にいた頃、エアバッグの開発に取り組み、16年かけて日本初の製品を世に出した。それほど長い時間、開発を継続できたのは、本田宗一郎と当時社長の久米是志氏の存在が大きかったと話す。
「ホンダでエアバッグに理解があったのはこの2人だけでした。他の幹部たちは反対こそしませんが協力はしてくれなかった。社内にはそうした側面はありましたが、宗一郎さんは、『新しい技術は若い人にやらせる』という方針でした。