宗一郎さんも久米さんも週1回は研究所にきて現場を見て回り、『新しいことをやっているか』『それは世界一か』と尋ねてきた。今、世界一を目指せと大声で言う人なんていないでしょう。宗一郎さんはやればできると本気で考えていた。だから、私なんぞも『応えてやろうじゃないか』と研究を進めたものです」
小林氏は、そうした精神が、宇宙挑戦にも表われていると語る。
「F1でも目指したのはレースでの勝利ではなく、技術力を高めることで、技術開発の場を作ったのです。できないと思い込んでいることに挑戦し、あえて若手を起用して人材を育て、それによって何かが生まれる。だから『失敗よりも挑戦しないことを恐れろ』というのが宗一郎さんの精神でした。
今回の宇宙事業も、あえて高い目標を立て、なかには社内の批判や非協力もあるでしょうが、それも含めて挑戦するのがホンダなのです。はたして成功できるのかどうか、楽しみにしています」
ホンダは「無謀ではない」
1990年~1992年にホンダ副社長を務めた入交昭一郎氏は、東大で航空工学を学び、ホンダ入社後は航空機ではなくレースエンジンやスクーターの開発を手がけた。その入交氏に三部社長が示した宇宙事業や脱エンジンについて訊くと、こう答えた。
「いいじゃないですか。夢はあったほうがいい。宇宙事業もEVも儲かるまでには時間がかかります。だから経営者としては、基幹技術である内燃機関の事業を維持し、HVも展開しながら、その中で宇宙事業やEVを広げていくということでしょう。
ただ、将来の軸となるEVへの方向性をブレさせないために、あえて脱エンジンを唱えたのだと聞いています。その姿勢は理解しています」
本田宗一郎を直接知る最後の世代である入交氏は、こう考察する。
「おとっつぁん(本田のこと)だったら、この時代にあっても内燃機関は守るという姿勢だったとは思います。一方で、カーボンニュートラル、カーボンフリーも進めねばならず、その責任もある。
内燃機関技術は人類100年の資産で、宇宙ロケットも内燃機関などホンダが持つ基幹技術を使うものであります。だから、おとっつぁんなら『よく考えろ』と社長に言うでしょうね。その流れでロケットや宇宙事業もやれと言ったでしょう。OBとしても期待しています」