日立が最大の危機に陥った2009年、白羽の矢が立ったのが、日立製作所副社長を経て、日立マクセル会長など子会社に転出していた川村隆氏だった。近著『ゲームチェンジ日本』(MdN新書)などで日立の事業構造の転換を分析している真壁昭夫・法政大学大学院教授が指摘する。
「これほどの大企業で、子会社から呼び戻されて本体トップに就任するのは異例の人事。後継の中西宏明氏(故人)も子会社からの抜擢であり、決して“主流派”ではない人物が大きな変革に取り組むことになったのです」
それまでとは一線を画す“非主流派”の川村氏は、このままでは日立は潰れるという強烈な危機感を抱き、総合電機メーカーとして広げていた事業構造の「選択と集中」を進めていった。
「これまでのように重電から家電まで幅広く扱うビジネスモデルでは生き残れないと判断。鉄道システムなどの『社会インフラ』と、AI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)を活用した最先端の『IT分野』に経営資源を集中させる事業構造の大転換に着手しました」(真壁氏)
川村氏は、子会社に転出していた自身に社長就任の話があり、悩んだ末に引き受ける際の心境を自著『ザ・ラストマン』で、〈一度はなくしたも同然の命。一生に一度は大きな組織を動かす意思決定者になるのもいいのではないか〉──と振り返っている。
表題「ザ・ラストマン」は船長のように〈最後に責任を取ろうとする意識のある人〉の意だといい、覚悟を持って火中の栗を拾ったことが伝わってくる。
※週刊ポスト2021年11月19・26日号