「軍都として重工業が盛んだった広島は鉄板が入手しやすく、戦後に米軍の支援物資の小麦粉が持ち込まれました。その影響から、広島には、お好み焼きの屋台や店が多くなりました。
当初はウスターソースが使用されていましたが、お好み焼きからソースが垂れやすかったので、トロミをつけたりするなどの改良を重ね、広島のお好み焼きに合うソースを開発しました」(大内氏)
1975年に広島カープが初のリーグ優勝を果たすとお好み焼きは全国区になり、オタフクソースの販路が一気に拡大した。
「夫婦2人の小さな店からのスタートでしたが、『人々の幸せ』と『モノづくり』にかける気持ちで苦しい時期を乗り越えました。創業者の強い思いは今も根付いています」(同前)
※週刊ポスト2022年1月14・21日号