「でも、盛田さんは本気だった。盛田さんは、現地の代理店を通じてソニー製品を販売するのではなく、自社の販売会社から小売店に直接製品を売りたかった。そのためのソニー100%出資の現地販売会社を『お前たちが作ってこい』と言うのです」
「しかし、入社10年未満の社員にすべてを任せるというんですから、盛田さんは肝が据わっていたなと今でも思っています。なかなかできることではない。他の会社なら、31歳の“小僧”にそんなチャンスなんてくれないでしょう。盛田昭夫という経営者の非凡さが表れています」
「海外法人を作るときも、その国のインサイダーになれという考え方が貫かれていました。なにしろ、僕なんて、フランスに行く時点で、ソニーを退社した扱いになりましたからね。うちの母から電話がかかってきて、『あなた、何か悪いことでもしたの? 退職金の積立が打ち切られているわよ』と言われて気づきました」
「人間って不思議なもので、放り出されたら泳ぎ方を知らなくても必死に泳ごうとして、いつの間にか泳ぎ方を覚えるんですね。フランスでは、大学や大学院で学ぶ数百倍の経験をさせてもらった」
「ソニーの文系の花形部署は『外国部』『財務部』『業務部』で、東大卒やMBA卒ばかりでしたが、東大やMBAで学ぶことの何十倍も僕はパリで学んだと思います。これもサラリーマンだからこそ、できた経験です。会社だからこそ、大きな仕事を任される。自分で興したベンチャーだったら、絶対にそんな経験はできなかったでしょう」