CEOを解任された関氏は、日産自動車で執行役副最高執行責任者(副COO)を務めた「元ナンバー3」。中国の合弁会社のトップなどとしてキャリアを積んだエリートで、今後の事業の要となる電気自動車(EV)向け駆動モーター事業の成長を期待されての抜擢だった。
電撃移籍が明らかになった2019年末、関氏は経済誌のインタビューで移籍を決断した理由について、「永守会長から熱心にお声がけをいただき、2度ほどお断りしたが、お受けすることにした」と語っている。“後継者”として三顧の礼をもって迎えられた存在だった。
しかし、永守氏は4月の会見で降格した関氏に対して、再びCEOに就くまで「あと3年くらいかかるだろう」と経営者としてはまだ“未熟”という評価を隠さなかった。
この突然の変心に対して、市場関係者の声は冷ややかだ。驚きの声よりも「やっぱりか」という声が聞こえてくる。経済ジャーナリストの福田俊之氏が語る。
「日産自動車の関氏は、カルロス・ゴーン氏の騒動の発覚後、一度は“社長候補”と目された人物です。それが一転、日本電産に引き抜かれたのですが、当時私は『関さん、よく行くな。大丈夫かな?』と思っていた。
というのも、永守氏はソフトバンクグループの孫正義氏(64)やファーストリテイリングの柳井正氏(73)のように“死ぬまでトップで居続けたい”創業者です。強烈なリーダーシップを持っていますが、堅実に仕事をこなして部下に慕われるサラリーマンタイプの関氏は噛み合わないと思ったのです。両氏を知る人からすれば今回の人事はさもありなんといったところでしょう」
「創業以来、最大の失敗」
永守氏は、「ポスト永守」を巡る人事で同様の処遇を繰り返してきた過去がある。
日本電産はこれまでもライバル企業のカルソニックカンセイ(現マレリ)社長だった呉文精氏、シャープ社長だった片山幹雄氏、日産自動車の幹部だった吉本浩之氏ら名だたる人物を後継者候補として次々と「ヘッドハンティング」してきた。
しかし、呉氏と片山氏は社長になることなく同社を去った。初めて社長の座を譲った吉本氏も1年半で降格させ、その際に「意思決定が遅くなった。創業以来で最大の失敗」と語って大きな波紋を広げた。