少数者が富を独占する現実を解き明かしたピケティ
さて、では話を陰謀そのものから陰謀論に移そう。陰謀論とはいったいどういうものだろう。典型的でもっとも大きな元型は「この世界はごく少数の一部の巨大な権力者に支配されている」という思考だと思われる。この一部の巨大な権力に、ときにユダヤ人が入ったり、宇宙人が入ったりもする。
ただ、問題はこういう突拍子もない陰謀論は、論理のツメが甘すぎて、ほうっておいても大きな影響力を持たず、「それは陰謀論だ」と冷笑してすむような気がするし、場合によっては民族差別につながるので、ちゃんと否定するべきである。
一方、近年、トマ・ピケティというフランスの経済学者が『21世紀の資本』という書物で、資本主義では資本を有している一部がどんどん富み、そうでない者との格差はどんどん開くという説を、膨大な資料を元に展開し、 「r>g」という不等式で表し話題になった。この学説は、1%の国際金融資本が世界の富を独占し、99%は貧困に喘いでいることを告発した「ウォール街を占拠せよ」の運動にもつながっていく。でも、これ、なんとなく大枠とマインドが陰謀論に似ていないだろうか。
つまり、妄想としか思えない陰謀論と、事実と論理を積み重ねて陰謀(もちろんトマピケティは陰謀という言葉は使っていないが、要するに少数者の富の独占=支配)を告発するまともな言説は分けて考えなければならない。ところが困ったことに、“非なるものだけれども似てはいる”。つまり駄目な陰謀論もどこかで真実の一片を透かしているところが無きにしもあらず、というのが実にややこしいのである。
さて、ここで思考実験をしてみよう。もし仮に僕が世界を支配する少数のひとりだとして、しかしこのことは隠しておくほうが好都合だと思っていたら、どんな手を打つだろうか? 僕なら「似て非なるものを見せて、真の姿を見えなくする」という戦術をとる。
つまり、真実にかすってはいるがジャストミートしていない言説を大量生産して、そのハレーションで真実を見えなくする。真実の一片は捉えてるのだけれど、総体としてはデタラメとしか思えない言説を大量に配布し、デタラメの同意語である陰謀論という語を使って、レッテルを貼りつけ、真実に肉薄する言説の信用まで落としてしまう。
つまり、“陰謀論という陰謀”をしかけるのである。こうなると、陰謀論に似てしまいがちな論を述べようとする者は、陰謀論者と呼ばれないよう腰が退けて、遠回しな表現を使うことになるだろう。