昨今、話題となっている「親ガチャ」という言葉。これは「親を自分で選べないこと」を表す俗語で、ソーシャルゲームのアイテムやキャラクターなどがランダムで出てくる「ガチャ」を親子関係にたとえている。
いまの日本のスタンダードな入試制度では、中学受験、高校受験、大学受験ともに、「どんな参考書を与えて、どこの塾に通わせて、場合によってはどんな家庭教師をつけるか」で決まると言っても過言ではない。つまり、受験は本人の努力以上に「課金ゲーム」の要素が強いのだ。スマホのゲーム同様、お金をかけた者が勝ち抜くことができ、「高学歴」という勲章を子供の胸につけることができる。これが親ガチャの勝者だ。
例えば、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学(私立文系)と、一貫して私立に進んだ場合、教育費の総額は子供1人あたり約2547万円。大学進学と同時にひとり暮らしをさせれば約2994万円にもなる。簡単に用意できる金額ではない。
だが、いくら親が“課金”して子供に「東大」や「早稲田」といった勲章を与えても、それは堅実性パーソナリティーの証明にこそなれ、本人の優秀さや将来の高収入を保証するものではない。現実として「仕事ができない、使えない」と評価される高学歴者は少なくない。一方で、いわゆるFランクと呼ばれる大学出身の企業の管理職も少なくない。個人の能力と大学名には何の関係もないことは、多くの人が知っている事実だ。
それにもかかわらず、テレビ番組でも、就職や結婚でも、大学名ブランドが重視される風潮はなくならない。『進路格差』(朝日新書)の著者で教育ジャーナリストの朝比奈なをさんは、学歴至上主義の根本にある「偏差値」に疑問の目を向ける。
「偏差値はそもそも、塾や予備校が勝手につくったスコアでしかありません。その大学が何を研究していてどんな成果を上げているか、どんな教授から何を教わることができるのか、といった重要なことは何もわからない。
いまだに偏差値を重視している人は、“自分の頭で考えて判断する尺度を持つことができない”と証明しているようなものです。社会で生きていくために本当に大切なことは、自分の価値観と責任で判断する能力です」