面接官が聞くのは“それまで何をしてきたか”
就職活動などではいまだ「学歴フィルター」は存在しているが、実際に社会に出て働き始めると「学校名」だけでは通用しない。『上級国民/下級国民』『無理ゲー社会』などの著書がある作家・橘玲さんが言う。
「例えば、Fランク大学出身の社員が、部署でいちばんの成績を取ったとします。そこで“でも、彼は慶應卒じゃないから、評価を上げるのはやめておこう”などという会社はないはずです。
もしそんなことをすれば、その優秀な社員はたちまちライバル会社に引き抜かれてしまいます。その結果、残るのはムダに学歴だけが高い“使えない社員”ばかりになります。いまはどこも人手不足なので、若くて優秀な人材は引く手あまたです。就活でうまくいかなくても、入った会社で実績を出せば、2回か3回の転職で充分挽回できるでしょう」
むしろ、いつまで経っても「おれは慶應卒だぞ」などと言っている社員がいたら、その方が問題だ。親の“課金”で高学歴を手に入れた人の多くが、社会に出ると「大学名だけじゃ戦えない」と気づく。
橘さんによれば、いまの日本でも、社会に出た後の“学歴の賞味期限”は5年ほどしかない。
「30才で転職の面接を受けに来た人に対して面接官が聞くのは、出身大学ではなく“それまで何をしてきたか”ですよね。慶應卒でも高卒でも、実績によって平等に評価される。このようにして、35才頃までには、最終学歴は関係なくなっていくでしょう。米国は世界でも特にメリトクラシー(能力主義)が浸透している。リベラルな社会は、人種や性別のような属性ではなく、個人の実績だけで評価すべきだという考えです。
世界経済を牽引しているGAFAに新卒で入るには一流大学の博士号が必要だといわれていますが、その一方で、日本には“GAFA予備校”と呼ばれるほど、GAFAへの転職者が多い企業もあります。グローバル企業は優秀な社員を獲得しようと必死なので、大学にかかわらず実績さえあればGoogleやAppleの一員になることも夢ではないのです。日本にはまだ、ジェンダー格差や正規・非正規の格差が残っていますが、それでも少しずつ、能力があれば正当に評価される公正な社会に向かっています」(橘さん)