ひょうひょうと語る古田さんだが、金額が金額なだけに、事はそう簡単ではなかった。寄付するためのお金を銀行で下ろすのもひと苦労。警察官を呼ばれる事態になった。
「いまは振り込め詐欺が多いでしょ? 兵庫県は大きなお金を下ろすときには警察官の立ち会いが必要らしくて、振り込め詐欺を心配する銀行員と警察官に『使い道は寄付なんや』と言って説明して、やっとお金を引き出しました。
その後、警察官が家まで車で送ってくれたけれど、自転車で銀行に行っていたから、現金を家に置いた後、また警察車両で銀行に送ってもらって自転車を取りに行ったんです。ぼくも長く生きてきましたが、警察のお世話になったんは初めてやわ(笑い)」
1000万円を生んだ「母の教え」
銀行でお金を下ろした数日後、古田さんはレジ袋に入れた1000万円を自転車の前かごにのせて市役所に向かい、寄付した後はいつも通りに店を開けた。理容師歴65年。古田さんのもとにはひっきりなしに来客があり、にこやかな表情と慣れた手さばきで対応する。1000万円は、理容師として働いて、コツコツ貯めてきたお金だという。
ただし、そこに至るまでの道のりは平坦ではなかった。
古田さんは第二次世界大戦中の1943(昭和18)年11月、大阪府堺市で生まれた。戦禍が激しくなる中、父親の故郷である鳥取県に一家で疎開し、戦後も鳥取で過ごした。5人きょうだいの次男で、一家7人の暮らしは楽ではなかったと語る。
「食べ物はみんな配給。それも代用品で、米の代わりにいもの粉とか、砂糖の代わりに赤いざらめとかやな。川の土手にいもや豆を植えて、それが大きくなるのを待って食べていたこともあった。
母親は質店に行って着物をお金に換えていたから、『あんたらが着物食うてもた』っていつも言うてたわ。あの頃はみんな苦労して、生きるのに一生懸命やったね」