大輔氏と聖子氏が出会ったのは2012年。当時、大輔氏は香港で外資系金融機関に勤務していた。上司が中埜家の資産運用を担当したことをきっかけに、ミツカンの婿候補として白羽の矢が立ったのだ。大輔氏が振り返る。
「和英氏ら中埜家や番頭格の社員を交えての食事会の後、上司から『一次面接にパスしたぞ!』と電話をもらい、翌日、今度は元妻と2人で食事に行きました。彼女とは共通の話題も豊富で、第一印象からタイプの女性ではありました」
2013年に名古屋市内で盛大な結婚式を挙げ、大輔氏は婿養子として中埜姓を名乗り、聖子氏の実家で新婚生活をスタートさせる。結婚当初は円満だった大輔氏と中埜家の関係だが、次第に義父母から叱責されることが増え、徐々に不協和音が鳴り響いていった。
生後4日で求められた養子縁組届
2014年、イギリスに移住し、待望の長男が誕生すると、大輔氏への風当たりはさらに強まった。きっかけは、長男の誕生4日後に「養子縁組届」のサインを求められたことだったという。
「将来的に税金対策として養子縁組の可能性があることは以前から聞いていました。実際、元妻も祖父と養子縁組をしています。私は中埜家に入った人間ですから、もちろん、わが子の養子縁組にも納得はしていたのですが、まさか生後4日で書類にサインを求められるとは思いもしませんでした。元妻と同様、成人した頃を想定しており、名前も決まっていないわが子が、この瞬間から書類上は息子ではなくなってしまうと考えたら、思わず手が止まってしまったんです……」(大輔氏)
しかし、和英氏は大輔氏のこの逡巡に激怒。
「『謙虚の意味を言ってみろ』とiPadを渡され、謙虚と検索し、辞書の内容をその場で読み上げさせられました」(大輔氏)
以来、大輔氏を一族から追放する動きが加速していった。