中国で“友好の使節”“最高の外交官”などと呼ばれることがあるパンダは、国と国を結ぶ重要な役割を担っている。
日本では1972年7月に首相になった田中角栄が中国との関係改善に乗り出し、中国の周恩来首相とともに日中共同声明に調印。この日中国交正常化を記念して、中国から上野動物園に贈呈されたのが、カンカンとランランという2頭のパンダだ。これを機に日本国内でパンダブームが巻き起こえい、日中は良好な関係を築いていった。
しかし、その関係にヒビが入ると、パンダを巡る状況にも変化がおきた──。パンダがつなぐ日中関係を振り返る。【全3回の第2回 特集「パンダがつないだ日本と中国の50年史」全文はこちら】
21世紀に入って悪化の一途を辿った日中関係
1990年代まで日中友好の証として多くのパンダが海を渡ってきたが、21世紀に入ると、蜜月だった日中関係に亀裂が生じる。
2001年には、「自民党をぶっ壊す」のキャッチフレーズで小泉旋風を巻き起こした小泉純一郎首相(当時)が公約通り靖国神社を参拝し、中国メディアは激しく反発した。それが呼び水となったのか、歴史教科書問題などが渦巻く日本への不信感や不満が少しずつ噴出し、2004年に中国で開催されたサッカー・アジアカップでは中国人サポーターが日本代表に猛烈なブーイングを浴びせるなど反日騒動が勃発。その翌年には中国国内で反日デモの嵐が吹き荒れて日本料理店や日系スーパーが破壊されるなど、両国の関係は悪化の一途を辿る。元TBS記者で中国での特派員経験もあるフリージャーナリストの武田一顯(かずあき)さんが解説する。
「経済で中国が日本を追い上げライバル関係となるなか、小泉首相の靖国参拝が中国を刺激した。小泉首相より前の小渕恵三政権の時代には、当時中国のトップだった江沢民国家主席が来日し、日本に対して繰り返し戦争謝罪を要求するなど少しずつ歪みが生まれていましたから。以降、日中両国民のお互いに対する感情が悪化し、日中関係は長期低空飛行の冬の時代に入っていきます」(武田さん・以下同)