6月12日、中国・四川省のジャイアントパンダ保護研究センターで暮らすシャンシャンが7才の誕生日を迎える。誕生日を前に、4月には在日中国大使館がシャンシャンのライブ映像をオンラインで公開し、東京・上野にある松坂屋でもイベントが催されるなど、祝福ムードは高まるばかり。
1972年に初めて日本の土を踏んで以来、幾度ものブームを巻き起こし愛されているパンダだが、中国においては“友好の使節”“最高の外交官”と呼ばれることもあり、外交ツールとして利用されている。パンダがつないできた、日本と中国の歴史を振り返る。【全3回の第3回 特集「パンダがつないだ日本と中国の50年史」全文はこちら】
絶滅の危機に瀕した希少動物がゆえの「レンタル」されて繁殖研究
シャンシャンは中国から「貸与」されたので中国に返還されたが、振り返れば国交正常化(1972年)直後に海を渡ってきたランランやカンカンは貸与ではなく「贈呈」されていた。中国パンダ外交史』の著者で東京女子大学教授の家永真幸さんはこう語る。
「その背景には、パンダをめぐる国際ルールの変化があります。そもそもパンダは絶滅の恐れがあって保護対象になっている動物です。そのため野生動植物の保全を目的とするワシントン条約により、1984年にパンダの国際商取引が原則的に中止されました。
その代わり、パンダをほしがる外国の動物園には繁殖研究を目的として、オスとメスのパンダを長期的に貸し出すルールになりました。以降、パンダは最初から中国に返す約束で来日しています」
日本に贈呈されたのは、最初のランラン、カンカンから、1992年にオスのユウユウとの交換で来日したリンリンまで。新ルールは繁殖研究が目的のため、生まれてきた子もいつかは中国に返さねばならない。
保護対象の動物だけに飼育も簡単ではない。上野動物園園長の福田豊さんが言う。
「われわれにとってパンダは“かわいい動物”というだけではなく、独特の進化を遂げ、絶滅の危機に瀕している非常にめずらしい動物なのです」