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【総選挙のカギ】元首相補佐官が解説、自民党と公明党の「選挙協力体制」はいかにして出来上がったのか

自民党と公明党の関係を紐解く(石破茂・自民党新総裁。写真/EPA=時事)

自民党と公明党の関係を紐解く(石破茂・自民党新総裁。写真/EPA=時事)

 自民党は石破茂氏、野党第一党・立憲民主党は野田佳彦氏とそれぞれ新たなトップが決まり、来る総選挙への動向に注目が集まっている。裏金問題、「政治とカネ」の醜聞に揺れた自民党は政権の座を保持するのか――そのカギとなるのが、自民党と公明党の「選挙協力体制」だ。自民党は、公明党とその支持母体である「創価学会」の集票力を活かすことで、与党であり続けてきた。では、その協力関係はいつから始まったのか。総選挙を迎えるうえで、有権者にとって有益な情報となるはずだ。

 菅義偉内閣の首相補佐官を務めた経歴を持つ、最新刊『権力の核心「自民と創価」交渉秘録』が話題の帝京大学教授の柿崎明二氏が解説する(以下、同書より抜粋・再構成)。

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 現在まで続く自民党と公明党の選挙協力体制が現場レベルでも一応の完成を見せたのは、自自公連立政権をスタートさせた翌年の2000年6月に行われた第42回衆院選の直前だった。

「『自・公・保』の大勝利で政治の安定と改革、兵庫から景気回復のうねりを」(『神戸新聞』2000年6月13日付朝刊)

 公示を翌日に控えた6月12日、神戸市内で、兵庫県の自民、公明両党の県組織が初の合同選対会議を開き、当時の与党、自民、公明、保守3党の結束を強調した上記のスローガンが打ち出された。兵庫県では自公の協力体制づくりがずれ込んでいた。合同選対立ち上げは、選挙協力体制の仕上げを象徴していた。

 与党の選挙協力協議は、前年1999年10月、公明党が自民、自由両党の連立政権に参加して以降、自由党の分裂と連立離脱という曲折を経ながらも進められていた。自由党のうち連立残留を選んだ勢力によって結成されたのが保守党。「自公保」は今となっては違和感のある表現だが、当時の与党の略称だった。

 この衆院選にあたり、選挙協力を行うことは連立合意の中に盛り込まれており、責任者である野中広務幹事長が推し進めた。公明党が公認候補を擁立する全国18の小選挙区のうち4つは自民党と調整がつかず、競合するなど候補者を一本化できなかった選挙区もあったものの、当初の想定以上のスピードで進んだ。

 しかし、兵庫県では細川護熙政権の与党枠組みを踏まえて1994年に誕生した、公明党、民主党、連合兵庫などでつくる「非自民、非共産」の選挙協力体制である「連合・五党協議会」が機能しており、それからの転換作業が残っていた。

 特に公明党兵庫県本部の動向が注目されていたが、6月12日の合同選対会議終了後、記者会見した赤松正雄代表が「民主党の候補を応援することはない」と連合・五党協からの離脱を明言した。

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