お酒はいつ飲んでもいいものだが、昼から飲むお酒にはまた格別の味わいがある――。ライター・作家の大竹聡氏が、昼飲みの魅力と醍醐味を綴る連載コラム「昼酒御免!」。今回は江戸の伝統の味を今に伝える神田の老舗蕎麦屋で渋く決める。【連載第4回】
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東京神田、須田町1丁目。地下鉄の淡路町や小川町、JRの神田駅から歩いてすぐの一角だ。まさに東京のど真ん中ですが、特にこの界隈は、古式ゆかしい日本建築が今なお残っていて、散歩するだけでも楽しい。
「ぼたん」という鶏のすき焼きの店がある。調べると、創業は明治30年。ここの2階の広間に上がって、すき焼きをふうふう言いながら食べ、ビールから日本酒へと飲みつないで、ああ、うまいねえ、と思っているところで、締めのご飯とお新香が出て、都合2時間ほどで感極まるといった心持ちになる経験を、私はこれまで何度もしてきました。
この店の並びには、あんこう鍋の名店「いせ源」もある。こちらは驚くなかれ、創業は天保元年。この年代、ちょっと調べてみたところ、ねずみ小僧とか必殺仕事人とかの時代なんだそうです。先の「ぼたん」もこの「いせ源」も、立派な建物は東京大空襲で焼かれることがなかったそうで、それ自体、たいへん貴重なものだ。両店とも、玄関で靴を脱いで上がるときに、どこぞの老舗旅館に滞在にきたような、なんともオツな気分にさせてくれる。
同じように、この一角にあるのが「神田まつや」。明治17年創業の、蕎麦屋だ。靖国通りの淡路町交差点近く、側道を入ってすぐ。ビルに挟まれたシブい構えの老舗である。
「酒呑みねえ、江戸っ子だってねえ」
「おう、神田の生まれよ」
これ、広沢虎造の浪花節の一節だそうですが、私もごく幼ない頃に、耳にしていたような気がします。私は東京郊外三鷹の生まれだから、神田っ子の言葉を聞いて育ったわけじゃないし、私の幼少期の神田っ子が、おう、神田の生まれよ! と言っていたのかどうか、見当もつかない。
きっと、日曜日の夕方に欠かさず見ていた「笑点」で噺家たちの言っていたのが耳に残ったのか。あるいは、神田生まれで12歳まで神田で育ったという私のオヤジが、
「神田生まれだから、ひ、と、し、の区別ができないんだ」
と言い、実際、朝日新聞をあさし新聞、必死をしっし、と発音していたことが、幼い私に「神田」を特別な場所として記憶させたのかもしれない。
まあ、そんなことはどうでもよくて、ただ私は、その日の用事の関係で、昼食時の混雑が終わる頃に神田にいられるとなると、そわそわしてくるのだ。今から行けば、並ばずに入れるぞ……。そう思って目指すは「神田まつや」なのである。