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あぶない中国共産党

中国・習近平主席が忌避する「ナンバーツーの呪い」とは何か? 中国歴代王朝から毛沢東時代まで繰り広げられた“血みどろ闘争”の歴史

「ナンバーツーを置かない」ことを貫く習近平氏(写真/AFP=時事)

「ナンバーツーを置かない」ことを貫く習近平氏(写真/AFP=時事)

 彭徳懐、劉少奇、林彪……中国で毛沢東が最高権力者であり続けた時代、党幹部や軍のなかから後継者が引き立てられては粛清される、という事態が続いた。そこからは、歴代王朝でも繰り返されてきた「ナンバーツーの呪い」が読み取れるという。それでは、現在の中国で習近平・国家主席の「ナンバーツー」の処し方とは――。中国の歴史や文化、社会に精通する社会学者の橋爪大三郎氏と、元朝日新聞北京特派員のジャーナリストでキヤノングローバル戦略研究所上席研究員の峯村健司氏が読み解く。(両氏の共著『あぶない中国共産党』より一部抜粋、再構成)【シリーズの第16回。文中一部敬称略】

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峯村:文革でひどい目に遭わされた中国一般の人から見た毛沢東と、党指導部のなかでの毛沢東観には違いがありそうです。

 毛沢東は文化大革命を起こして劉少奇や鄧小平に「走資派」のレッテルを貼り、打倒しようとした。それは、劉少奇や鄧小平が大躍進政策で大打撃を受けた中国経済に、資本主義メカニズムも入れて立て直そうとしたことがきっかけでした。

 劉少奇は当時、毛沢東に次ぐ序列2位でしたが、1967年には中南海の自宅にまで紅衛兵が押し寄せ、家族を逮捕された挙げ句に自宅に軟禁され、当局の監視下でひどい状況に置かれて衰弱していきました。その後、移送された後も満足な治療を受けられず、2年後には亡くなっています。そう考えると、毛沢東の文革の目標とは、「ナンバーツー」を潰すことだったのでしょう。

 文化大革命の後期、劉少奇のあとにナンバーツーとなった林彪も同様です。劉少奇を失脚させた毛沢東が国家主席のポストを廃止しようとしたところ、林彪が反対した。毛沢東の批判の矛先は、それまで最も忠実な部下だった林彪に向けられた。やがて1971年の林彪による毛沢東暗殺未遂事件に発展し、最後は林彪が亡命しなければならないところまで追い込みました。林彪は亡命のために乗った飛行機の墜落により死亡しています。

 そう考えると、毛沢東の大躍進、文化大革命を通じての権力闘争の側面としては「ナンバーツー」潰しがキーワードになると思います。

次のページ:毛沢東はナンバーワンの座を脅かした彭徳懐を打倒

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