父が急死したことで、認知症を患う母(84才)を支える立場となった女性セブンのN記者(55才・女性)が、母の介護を通して学んだことを綴る。
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終活という言葉が流行り始めた年に父が急死し、人生が急展開した母には“終活しよう”などという意識はまるでない。だがその後、認知症に翻弄されつつ母がたどった道のりや選択は、来たるべき私の終活のよき手本となっている。
“終活”に正式な定義はないらしいが、家の片づけ、葬儀や墓、相続、最近では終末期医療についての意思を確認しておく“人生会議”も新たな項目だろう。
しかし、母の場合は終活どころではなかった。なにしろ“終活”が新語・流行語大賞の候補に挙がった2012年に父が急死。ひとりになった母は、認知症が一気に激化し、物盗られ妄想と暴言にまみれ、家の中もみるみるゴミ屋敷に。超高齢社会の泥沼へと、自ら飛び込んでしまったのだ。
昨年末に人生会議が話題になった時には、一応、取材のつもりで聞いてみた。
「もしこの先、重い病気になって、胃ろうや人工呼吸器をどうしますかって言われたら、ママはどうしたい?」
「痛いのは嫌ね…」
「いや、そうじゃなくて」と、命にかかわる選択をどうするか、素人なりに説明も試みたが、「…わからないから、悪いけどNちゃんに任せるわ」と、横を向いた。
認知症のせいか性格のせいかはわからないが、自分のことでも“決められない”ということがあるものだ。ここは万一の時、私が母に代わって決断できるよう、母に伴走するしかないのだ。