テレビマンはどのような仕事をしているのか。著書『さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ』(平凡社新書)が話題の東海テレビのプロデューサー・阿武野勝彦氏に、同書で伝えたかったことと、その仕事論を聞いた。
例えば遺体を映すことは本当に〈タブー〉なのか? だとしたらどこがタブーで、保身や忖度とどう違うのか等々、一から考え、問うことをいかにこの社会が怠ってきたか、全ての働く人に突きつけるような1冊だ。
『さよならテレビ』は、〈ドキュメンタリーの東海テレビ〉を長年牽引してきた名プロデューサーによる、テレビの未来を思えばこその訣別の書。
「この国の隠蔽体質を散々糺してきた我々こそ裸になれなきゃ危ないよ、むしろ強さより弱さを認め、正直でいた方が組織の自由度は高いよね、という話です」(阿武野氏・以下同)
特に戸塚ヨットスクール校長らの今を追った『平成ジレンマ』(2011年)以降は、東海テレビドキュメンタリー劇場と題した映画化にも挑み、26万人超を動員した『人生フルーツ』を始め、異例のヒットを記録。それも一地方局がミニシアターを拠点に積み重ねた数字だけに、可能性を感じさせる。だが、それにはまず「さよなら」から。身内にカメラを向け、業界内の禁忌すら対象化した同名映画同様、前進には痛みも伴うのだ。
「先日大学時代の後輩が日経新聞の『交遊抄』に書いていたんですが、僕は『本当にそうなのか』ってことを口癖のように言ってたらしいんです。40年前から。
例えば『ヤクザと憲法』(2016年)で言えば暴対法施行から20年が経ち、無菌化された社会を作ることに何の意味があるのかと。ヤクザにも人権や職業選択の自由はあるのに、一度泥を被った人間の再起を許さない社会では、いつその潔癖さが転用されてもおかしくない。その歪さを問うためにも密着取材は必要で、それがタブーか否か以前に、私だけは大丈夫と思い込む、無臭で清潔な社会は本当に住みやすいのか問いたかった」
業界の再起を期し、後続の素材となるべく書かれた本書では、一連の代表作と自身のテレビマン人生とを併せて検証。特に報道志望でもなかったお寺の三男坊が紆余曲折あってドキュメンタリーと出会い、数々の傑作を生むまでが、独自のテレビ論も交えて綴られる。