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日本のマクドナルド1号店は「39時間」で設営 知られざるファストフードの歴史

1971年の『マクドナルド』1号店オープンまでには大きなハードルがあった

1971年の『マクドナルド』1号店オープンまでには大きなハードルがあった

 ハンバーガーやフライドチキンなど、いまや私たちの食に欠かせない存在となったファストフードチェーン。その歴史は古く、約半世紀をかけて浸透しながら、日本の食文化の発展を支えてきた。コロナ禍で、自由に飲食店でワイワイ食事を楽しめないいまこそ、そんなファストフードの歴史と魅力を振り返ってみよう。

『日本外食全史』(亜紀書房)の著者であり、作家で生活史研究家の阿古真理さんは、こう話す。

「戦後の外食史は1970(昭和45)年が“外食元年”とされます。まだ海外旅行が遠い世界だったこの年に大阪万博が開催され、各国のパビリオンに併設されていたレストランで、コーラやハンバーガー、フライドチキン、インド料理などを初めて食べた日本人が多くいました」

 米国のファストフード店が、日本に初登場したのも1970年。大阪万博に出店した『ケンタッキーフライドチキン(KFC)』だ。

 1969年の第二次自由資本化という規制緩和で、自由化の対象に外国資本の外食も入り、米国ファストフードチェーンの日本参入が可能になった。『香雪社』代表で、食の専門サイト『Food Watch Japan』編集長の齋藤訓之さんが話す。

「米国で成功していたKFCは、大阪万博に出店した実験店でも好調な売り上げを記録。翌1971年には名古屋に郊外型ショッピングセンターの1号店を出店し、華々しくデビューを飾るはずでしたが、実際は予想外の大苦戦。郊外を狙うには時期尚早だったのです」

「マクドナルド」幻の1号店計画

 ハンバーガーチェーンが日本に登場したのも1970年のこと。なかでも鮮烈なインパクトを与えたのが、1971年7月20日に『銀座三越』(東京)1階にオープンした『マクドナルド』だ。

「日本の流行が生まれる銀座に1号店を出店したのは創業者の藤田田の考えで、ハンバーガーの知名度がほぼない“米と魚の国”日本に、新しい食文化を根付かせるためでした。本国の方針とは別に進めた大胆なアイディアでした」(同社広報・當山心さん・以下同)

 銀座出店の陰には、こんなエピソードがある。

「実は1号店は、神奈川県にあった『パシフィックホテル茅ヶ崎』(現在は閉鎖)の隣接地に出店される予定でした」

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