自分の人生の分岐点で別の選択をしていたらどうなっていたか、そんな「人生のIF」を考えたことはないだろうか。現在、フリーのネットニュース編集者・中川淳一郎氏(48)は、新卒で入社した大手広告会社を4年で辞めている。中川氏が「もしあの時、会社を辞めていなかったら、どうなっていたか」を考えてたどり着いた結論とは。
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私は大学卒業後、博報堂に入社し、CC局(コーポレートコミュニケーション局、現PR局)で企業のPR業務に携わり、4年で退社しました。それから19年半、フリーのライター・編集者として働き、この1年7か月は半隠居生活で佐賀県唐津市にてライターをしています。現在48歳7か月ですが、会社の同期もそろそろ役員になりそうですし、自分にとって会社員時代からの師匠である嶋浩一郎氏も役員になりました。
役員になってから嶋氏はますます忙しくなっていますが、同社のクリエイティブ部門を統括する立場で、自分の差配で様々な決定ができるポジションにいます。さらに、要人との会合に呼ばれることも多く、充実している様子を身近に見ています。
嶋氏は先日も、佐賀新聞の中尾清一郎社長と同社の広告部署、デジタル部署の重鎮たちと会食をしており、私もこうした“トップ会談”を脇で見ていたのですが、「なんか羨ましいな」と思ったのは事実です。こちとら、しがないフリーランスで、基本的には与えられた仕事をこなすだけなもので、自ら大きな仕事を作り出す権限はないのです。
そうした中、何人かの博報堂の先輩から「お前、残っていたら役員になってたんじゃね?」と言われました。当然酔っ払ったうえでの戯言ですが、これを機に「もしも私が会社を辞めずにいたら、どうなっていたのか……」をあらためて考えてみました。
まぁ、どう考えても役員にはなれないでしょう。今、先輩方が言ってくれたのは、「今のお前のスキルと人脈があれば」ということなので、あのまま会社にいたとしても、出世街道には乗っていないだろうと想定されます。
結局、今、自分がこのように様々な媒体で連載を持っていたり、書籍を執筆させてもらったりしているのも、「ネットニュース編集者」という新しい仕事を2006年に開拓することができたからです。そして、その経験を基に、ウェブ界隈の現状を分析する本『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)を2009年に出版したことで、その後の人生が大きく変わりました。博報堂に残っていたら間違いなくそうした経験はなかったことでしょう。