「連れション行かない?」
次から次へと商談をこなしていた三木谷は、一瞬だけ部屋から顔を出し、筆者に声をかけてきた。
「連れション行かない?」
個別インタビューの時間が取れないから、三木谷なりに気を遣ったのだろう。ごった返す中、2人でトイレを目指す。
「ものすごい過密スケジュールですね」
「そうね。関心を持ってもらっているのはありがたい」
アジアの東の端で、最後発で携帯電話事業に参入した楽天モバイルが、世界中の注目を集めている。それは「携帯ネットワークの完全仮想化」という、これまで誰もやったことのないイノベーションに挑んでいるからだ。
「仮想化」とは簡単に説明すると、昔のワープロ機を「ワード」や「一太郎」のようなワープロソフトに置き換えることだ。「キーボードを叩いて文字を書く」という作業をハードウェアではなくソフトウェアでこなす。ソフトに置き換えることを「仮想化」と呼ぶ。
仮想化した楽天モバイルの通信技術は高価な専用機器を使わずとも動かすことができる。そのコスト削減効果は凄まじい。
設備投資は既存の通信ネットワークに比べ30%、運用・管理コストは40%安くなるという。楽天は楽天シンフォニーという会社を作り、この技術をパッケージにして海外の会社に売り込んでいる。
トイレに着くと隣で用を足す三木谷は言った。
「去年まで(の彼ら)は、お手並み拝見という興味本位だったけど、今年は本気で導入を考えている。真剣さが違う」
装置産業である携帯電話事業は設備に莫大なカネがかかる。日本の通信大手でいえば、年間のインフラ投資は5000億円近い。それが3割安ければ3500億円で済む。
ワープロのように携帯電話ネットワークもいずれ仮想化される。それは世界の通信業界のコンセンサスだった。一方で、何千万台の移動するスマホを捕まえる携帯ネットワークの仮想化は物理的には凄まじく難しい。通信大手のほとんどは「まだ数年は先のこと」と考えていた。
それを楽天は世界に先駆けてやってのけた。2020年にサービスを開始した時、ライバル各社は「絶対失敗する」とたかを括っていた。小さな事故はいくつか起きたが、ネットワーク全体が何日も止まるような事故は起きていない。日本ではすでに500万人近い利用者が楽天モバイルを使っている。