【最後の海賊・連載第5回前編】今年3月、楽天グループが中国の巨大IT企業「テンセント」の子会社から出資を受けたことで、「日米両政府が監視する」などと報じられる騒ぎとなったが、三木谷浩史氏は「新規事業のための純粋な投資」という姿勢を貫いた。週刊ポスト短期集中連載「最後の海賊」、ジャーナリスト・大西康之氏がレポートする。(文中敬称略)
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2018年の年末、東京・二子玉川にある楽天グループ本社4階の大会議室は600人の社員で溢れ返っていた。
楽天が創業時から、毎週、火曜日の朝8時に開いている「朝会」では、会場一杯にパイプ椅子をずらりと並べて1000人が座る。机を入れて作業をするとなると、せいぜい600人で満杯だ。コロナ前だから許された過密状態である。
彼らはEC(電子商取引)サイトの楽天市場、楽天トラベル、楽天カードなど、総員1万人を超える楽天グループの各事業部からかき集められた精鋭たちだ。しかし集められた新部署での仕事は携帯電話のアンテナを建てることであり、それに関しては全員がズブの素人である。
それでも士気は高い。大会議室には毎朝、楽天グループ会長兼社長の三木谷浩史が顔を出し、進捗状況を確認するとともに、いち早くアンテナを建てることが楽天グループにとってどれほど大切であり、日本の通信産業、ひいては情報産業全般にとってどれほど大きな意味を持つ仕事であるかを熱弁したからである。この部隊を立ち上げる時、三木谷はグループの事業部に対して、こう言った。
「仕事のできるやつから順に送ってこい」
楽天クラスの大企業が新しい事業を始める時、まずは既存の事業部から人材を募る。しかし現場を預かる管理職は、持ち場の戦力を落としたくない。勢い「下から順番」に人材を供出する。そんなことは百も承知。だから三木谷は「エースを出せ」と厳命した。そして自らもそれを実行した。
「三木谷の懐刀」と言われていた楽天市場のエース、矢澤俊介を楽天モバイルに送り込んだのだ。
矢澤は2005年、英会話スクールのNOVAから楽天に転職した。物腰は柔らかだが、狙った客は必ず落とす。「営業の矢澤」の異名が楽天社内で知れ渡るのに、さして時間はかからなかった。2012年、三木谷はそんな矢澤を執行役員 楽天市場事業営業統括に抜擢する。入社7年目、34歳の執行役員の誕生は世間を驚かせた。
楽天の祖業であり稼ぎ頭でもある楽天市場事業は三木谷の金城湯池である。だが今や楽天グループはECに加えカード、証券からトラベル、サッカー、野球まで70に及ぶ事業を抱えるネット・コングロマリットだ。多忙を極める三木谷の手足となり、最重要事業を切り盛りしてきたのが矢澤である。
はじめの数ヶ月は兼任だった矢澤をモバイル専任にする時、三木谷はその真意を短い言葉で矢澤に伝えている。
「ここが勝負どころだからな」
エースを楽天市場から引き離してモバイル事業に送り込んだのだから、これ以上の本気はない。