母の認知症介護を経て考えたこと
父親は定年退職後も働いていたが、膵臓がんを患い70代でこの世を去った。父親が遺した貯蓄や母親の年金で生計を立てる二人暮らしが続いたが、ケンジさんのひきこもり生活は、意外な形で終焉を迎えることになった。
「母が認知症になったんです。そうなると、生きるために外出する必要が発生しました。食料を買ってきたり、お金をおろしてきたり……。母の認知症がすすむと、頻繁に粗相をするようになり、においが自室にも入ってくることもありました」
戸惑っていたケンジさんのもとへ、近所から『くさい』というクレームが来ていると自治会長がやってきた。自治会長から地域のケアマネージャーを紹介され、ケンジさんはプロのアドバイスを受けながら、なんとか母親の介護を続けた。そのとき、ケンジさんが考えていたのは、「母がいなくなったら、自分はどうするのか」ということだったという。
「母の世話をすることで、自分の存在意義をたしかめているような気持ちでした。当面の金銭的な問題がないとはいっても、父の言葉通り、“ただお金を使って”死ぬまでの時間を消費するのかと思うと、いっそ母と一緒に消えてなくなりたいと考えることもしばしばでした。うつ状態でした」
それから2年も経たずに母親を誤嚥性肺炎で亡くしたケンジさんは現在、親戚が紹介してくれたPCショップで働いている。
「今では両親は両親なりに頑張っていたのかな、とも思いますが、両親が亡くなってすっきりした気持ちの方が強い。僕はもう親の面倒は見なくていいという、ある種の気楽さがありますが、介護状態で何年もあのままだったら、共倒れになっていたと思います。
あと、僕がギリギリ50代だったのも、まだよかったかもしれません。60代、70代で老々介護になっていたら、地獄だったと思いますし、ひきこもりだった人間の働き口なんてそうそうないでしょう。仕事は誰かの役に立てて楽しいです。自分が必要とされているのもうれしい。今思うと、“言われたことに応えられなかったらダメ人間”みたいなレッテルを幼少期に貼られたトラウマは大きかったのかなと思いますね」
ケンジさんは、「自分はかなりラッキーだった」と振り返る。曰く、「もともと金銭的に恵まれた家だった」ことに加え、「自治会長が親身になってくれた」「親戚がいた」「働ける場所があった」などが、その“ラッキー”だという。しかし裏を返せば、ケンジさんのように“ラッキー”でなかったら、どうなっていたのか──。ひきこもり中高年の問題をどう解決するかは、社会全体で考えるべき課題なのかもしれない。(了)