「開けば開くほど赤字」になる事情
静岡県清水区で、明治後期創業の干物屋「久保田商店」を営んでいた久保田光治さん(50代)は、昨年、店を畳んだ。久保田さんが10年ほど前に家業を継いだとき、すでに干物の売り上げは赤字で、しらすでどうにか採算をとっていた状態だったという。
「店ではノルウェーやドーバー海峡でとれるとろあじを使っていました。脂がのっていて、肉厚でおいしいからです。その原材料価格が年々上がっていたのですが、うちはなかなかそれを価格に転嫁できなくて……。値上げしたら確実に売上が落ちるんです。だから、干物は“開けば開くほど赤字”だったのが現状です。そんな状況で、日本食が世界に広まったこと、国産のあじが不漁など、複合的な理由から、原材料そのものが回ってこなくなりました」(久保田さん、以下「」内同)
久保田さんによれば、干物の“卸し先”が少なくなったことも要因の一つだという。
「個人でやっているような魚屋や小規模なスーパーでは買い取ってもらえたものが、最近増えた大きなスーパーでは、買い取ってもらえなくなった。大型スーパーでは不揃いのものが敬遠され、『大きさをそろえてください』と言われるのです。
その要望に応えるために、例えば1000枚を卸すなら、余裕をみて3000枚作る必要が出てくる。残った2000枚は、最初こそ魚屋さんや小規模スーパーに卸すことができました。でも、そういったお店が大型スーパーに淘汰され、にっちもさっちもいかない状態になりました」
久保田さんは、干物離れについて、値上がりだけでなく“時短”の感覚が加速度的に変わったことも大きいと指摘する。
「干物は焼くだけでよいので、手軽に食べられるものの代表格でしたが、もはや『焼く』ことさえも面倒、という時代になりつつあるんでしょうね。静岡でも、焼いた干物が売っているくらいです。ただ、『もらうと嬉しい』という人はまだまだ多い。贈答品や高級品として生き残る道はあると思います」
時代の変化で窮地に立たされている干物。このまま日本の食卓からフェードアウトしていってしまうのか。(了)
写真提供/久保田商店