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【ゼンショー・パーソル・オープンハウス】巨額の個人資産を築いた“高卒経営者”の「成功の秘訣」

 飢えと貧困をなくすという理想に燃えていた小川氏は、信頼できる部下2人を引き連れて1982年11月、横浜市に「すき家」をオープンした。

「小川氏は若い頃に港湾労働で鍛えているから、とにかく声が野太く、迫力のある顔をしている。創業時には『俺が専制君主になる。俺の言うことをとにかく聞け』と部下に伝えていたそうです。

 印象深いのが、ゼンショーが2008年にライフコーポレーションからファミレス『華屋与兵衛』を買収しましたが、後年売却したライフ会長の故・清水信次氏にインタビューした時のこと。小川氏を評して『あんなにできる男はいねぇ』とべた褒めしていました。陸軍出身の清水氏は、港湾労働者出身の小川氏と馬が合ったのだと思います」(中村氏)

 女性の大学進学率が10%を下回っていた昭和初期生まれで、人材派遣会社パーソルHDの会長を務める篠原欣子氏(88)は、50位にランクイン。

 1934年、神奈川県横浜市に生まれた篠原氏は、8歳の時に父親が他界。二男三女を女手ひとつで育てた母親は、助産師だった。その時代には珍しく経済的に自立し、懸命に生きる母のうしろ姿を見て、「将来は母のような働く女性になりたいと強く幼心に思った」と篠原氏は後年語っている。

 篠原氏をインタビューしたことがある経済ジャーナリストの福田俊之氏が言う。

「当時は女性の高校進学率が40%程度。高卒の女性で優秀な人は、銀行か大手企業に一般職として就職するという時代でした。彼女の場合は三菱重工業に一般職として就職したそうです」

 その後、篠原氏は転職し、結婚を機に仕事を辞めるもわずか5か月で離婚。負けず嫌いの性格から好きな英語の道で自立することを決意する。スイス、イギリスに留学し秘書学を学んだ後、1971年にオーストラリアに渡り現地のマーケティング会社に社長秘書として入社。そこで過ごした約2年間で「派遣スタッフ」という働き方を知ったという。前出の有森氏が語る。

「篠原氏は『女性の私でもこれなら自立の可能性がある』と、まだ日本にはないシステムであった人材派遣会社を1973年に38歳で起業しました。テンプスタッフを設立し、“女性のための女性による派遣業”というジャンルのパイオニアとなったのです」

 家庭の事情や社会の仕組みを前に挫折を味わったからこそ、成功に導かれたのだと言えよう。

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