外国人の上司や同僚をどう呼ぶのか
日本と欧米でポライトネスのルールが異なることは、グローバルなビジネス現場をいささか混乱させているようだ。
日本の会社に(英語を話す)外国人社員が加わると、日本人同士の会話では名字に「さん」付けし、外国人同士は名前を呼び捨てにする。ここまではいいとして、日本人と外国人が混じった会議などでは、どちらのルールに合わせるのか困惑する事態が起きる。
ひとつの解決策として、日本語で会話するときは、「山田さん」「スミスさん」と敬称を使い、英語では「タロウ」「マイク」などと名前を呼び捨てにするというのがあるだろう。しかしそうなると、同じ相手を似たような状況で異なる名称で呼ぶことになり、かなり面倒くさい。ごく自然に、どちらの言葉でも、日本人社員は外国人を「マイク」と愛称で呼び、外国人社員は日本人に「山田さん」と敬称を使うようになるのではないだろうか。
私の経験では、相手が香港人やシンガポール人だと、これでなんの違和感もなく会話が成立する。彼ら/彼女たちが出生時の名前のほかにクリスチャンネームをもっているからで、「名字には「先生」などの敬称をつけ、クリスチャンネームならお互いに呼び捨てにする」という暗黙のルールができている。日本人はクリスチャンネームがないので、ごく自然に、名字に「さん」づけで呼ぶようになるのだ。
だがこの変則ルールは、文化的な背景が異なる欧米人相手だとやはり問題が生じる。一方が他方を呼び捨てし、呼び捨てにされた側が相手に敬称を使うと、言葉の性質上、そこに必然的に地位の上下が生じる。すべてのひとを「平等に」扱わなければならないグローバル空間では、お互いに同じ呼称を使うしかない。
とはいえ日本人にとっては、相手が外国人であっても(あるいは外国人だからこそ)名前を呼び捨てにされるのはかなり違和感があるだろう。同様に、外国人の同僚や上司をファーストネームで呼ぶのは問題なくても、英語で行なわれる会議で、日本人の上司を「タロウ」と呼び捨てにするのは強い抵抗があるにちがいない。とはいえ、「部長」「課長」などと相手を役職で呼ぶ習慣も英語圏にはない。
私はグローバルなビジネスの現場をよく知っているわけではないが、この「呼称問題」にはみんな苦労しているのではないだろうか。
(橘玲・著『世界はなぜ地獄になるのか』より一部抜粋して再構成)
【プロフィール】
橘玲(たちばな・あきら)/1959年生まれ。作家。国際金融小説『マネーロンダリング』『タックスヘイヴン』などのほか、『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『幸福の「資本」論』など金融・人生設計に関する著作も多数。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。リベラル化する社会をテーマとした評論に『上級国民/下級国民』『無理ゲー社会』がある。最新刊は『世界はなぜ地獄になるのか』(小学館新書)。