公職など社会的に重要な役職に就く者に対して、その言動が倫理・道徳が反しているという理由で辞職(キャンセル)を求める運動は、「キャンセルカルチャー」と呼ばれる。特に人種問題に敏感なアメリカでは、マイノリティに配慮した言動が求められ、企業や公的機関では「政治的正しさ(ポリティカル・コレクトネス)」に関する研修が頻繁に実施されている。だが、一方でそうした研修が一部のアクティビスト(活動家)たちの資金源になっている側面もあるという──。アメリカで拡大する「キャンセルカルチャー産業」の実態とはどのようなものか。新刊『世界はなぜ地獄になるのか』でキャンセルカルチャーについて詳細に論じている作家・橘玲氏が解説する。
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DEIは「多様性(Diversity)」「公平性(Equity)」「包摂(Inclusion)」の略で、アメリカの教育機関や企業、行政はDEIを推進し「差別されているマイノリティ」に配慮することを求められている。これがいまや「新左翼のゴールドラッシュ」になっている。
2020年7月、ニューヨーク・ポスト紙は「連邦政府で卑猥な「多様性トレーニング」詐欺が繁栄している──トランプの下ですら」という記事を掲載した(*)。
【*Christopher F. Rufo, Obscene federal ʻdiversity trainingʼ scam prospers ̶ even under Trump, New York Post, July 16.2020】
それによると、「白人らしさ(ホワイトネス)」「白人の脆弱性(ホワイト・フラジリティ)」「白人特権(ホワイト・プリビレッジ)」などの概念を中心とする「批判的人種理論(CRT)」が、左派(レフト)に批判的な共和党(トランプ)政権下ですら連邦政府に大きな影響力を行使しているという。
ニューヨーク・ポストの記者が入手した内部告発によると、財務省、FRB(連邦準備制度理事会)、連邦預金保険公社などの政府機関で実施された民間の「多様性コンサルティング会社」の研修は、「事実上、すべての白人はレイシズムに加担している」という前提から始まり、政府機関の(白人)職員は「自らのレイシズムと格闘し」「人種に基づく成長」に投資するよう求められた。
この研修を行なうのはハワード・ロスという人物で、「多様性産業複合体」とでも呼ぶべき事業を一代でつくりあげた。2006年以来、ロスの会社は連邦政府に500万ドル以上の研修費を請求し、11年には共通役務庁(GSA)が「コンサルティング・サービス」として300万ドル、NASAは“権力と特権の性的指向ワークショップ”のために50万ドルを支払った。
「いささか不愉快ではあるが、ロスが白人であることは決定的に重要である」と記者は書く。ロスは歴史学の学士号を取得したが、「神経認知・社会科学研究」の専門家を名乗り、過去30 年間、「無意識の偏見」という“非科学的な偽油”を売り込んできたのだ。
さらなる皮肉は、ロスとその仲間たちがトランプ政権下で業容を拡大していることだ。トランプ大統領の就任以来、ロスは司法省、国立衛生研究所、司法長官室など、すくなくとも17の連邦機関向けの研修をこなしている。
財務省の内部告発文書によれば、研修の最後にロスは、連邦政府の職員に「人種について子どもたちに話すように」指示している。「偏見は(3歳頃から)脳に形成されはじめるからだ」という。
「ここから先、なにが起きるかは容易に想像がつく」と記事は続く。「幼稚園から大学院、さらにその先に至るまで、多様性セミナー、トレーニング、カリキュラムがノンストップで続き、そのすべてがロスの銀行口座にとって好都合なものになるのだ」と。