瞑想による修行は欲望を溶かす
さて、マインドフルネスには元ネタがある。原始仏教のヴィパッサナー瞑想法だ。原始仏教とは何か? 釈迦の説いた仏教だと理解しておけばいいだろう。ヴィパッサナーとは「詳しく観察する」「さまざまなモードでよく見る」という意味である(パーリ語)。「苦しい」とか「辛い」ということは、「苦しい」「辛い」と心が感じるからで、大抵のことはそのように感じることを停止できれば、苦ではなくなる。
実際、私たちの心は、他人から言われた何気ないひとことに必要以上に傷ついてしまうことがある。「観察」はそのような苦しみを減じさせる方向に作用する。「ああ、あの一言で傷ついたんだな」を観察できれば苦は減じられる。さらに、瞑想による修行は人間が否応なしに持っている欲望も溶かしてしまう。欲望があるから、その叶えられない欲望に苦しむ、苦しみから解放されたければ、欲望そのものを解体してしまえばいい、という考え方だ。
さて、私たちは資本主義世界に生きている。この資本主義を研究する学問が経済学である。経済学は供給と需要という二つの指標を立てて市場を分析する。問題は需要のほうだ。需要とはなにか。広辞苑(デジタル版)を引いてみよう。〈(1)もとめ。いりよう。(2)〔経〕商品に対する購買力の裏づけのある欲望。または、その社会的総量。⇔供給。〉とある。ついでだから英英辞典(ロングマン現代英英辞典デジタル版)でdemandも引こう。〈the need or desire that people have for particular goods and services〉とある。
要するに“欲望”である。欲望がないと経済システムは機能不全に陥る。欲望が非常に小さくなって起きるのがデフレだ。だから、資本主義で活動するあらゆる企業は人々の欲望を刺激しようとする。“必要以上の欲望”を創り出す。現代日本のトイレ事情は温水洗浄機が付いているものが珍しくなくなったが、これは市場が求めているから企業が開発したわけではない。欲望を喚起させるために作られ、実際使用することによってそのような欲望が喚起されたわけである。
資本主義というのは乱暴に言ってしまうと“GDP爆上げゲーム”である。このゲームの勝利者になるために、企業は市場に欲望を創り出そうとする。「もういいよ」と言っても「こういうものも欲しくはないか」という具合に欲望を煽る。