人のよさそうな東北なまりの社長と、社長にしなだれかからんばかりに甘える女性。2人の掛け合いがどこか心地よいCMが流れ始めて7年。「あの女性は誰?」「どう見ても愛人でしょ」などという声がこのところ喧しい。その名は保科有里。デビュー30周年を迎えたベテラン歌手だ。27才で上京してきた彼女の素顔に迫った──。【前後編の後編。前編から読む】
東京では、ある作曲家に弟子入りした。芸術の世界でも学問の世界でも、弟子入りといえば、当時は住み込みの丁稚のようなもの。電話番、かばん持ち、運転手……なんでもこなした。
「OL時代に培った給料計算や運転の技術が役立ちました。先生のレッスンは3年間で3回だけ。あとはいろんな人へのアドバイスを間近で聞き、先生がライブで泣きながら歌ったり、弦が切れるほど激唱するのを目の当たりにし、『のどだけで歌うな』、『恋しい歌を歌うときは指先から恋しがれ』と常に背中で教えられている感じの修業でした。
2年半ほどして、『曲を作ってあげるからレコード会社に持って行きなさい。それでダメなら金沢へ帰りなさい』と言われました。それでも何とかデビューできました。応援してくださった周囲のかたがたのお陰でした」
デビュー1年で師匠の元を離れ、芸能事務所に所属し、東京・品川駅前のホテルのラウンジで定期的に歌う仕事を得た。それが15年続いた。
「月に1度、45分のステージが3回あって、好きだったカーペンターズなどの洋楽も歌えるようになり、リクエストに応えたり、アカペラで歌ったり、アドリブも楽しかった。
団体からカップルまでさまざまな人がくつろぐ大人の空間で、耳をそばだててもらう歌い方も学びました。先生からは『40才を過ぎたらいい歌が歌える』と言われていましたが、年を重ねてその言葉の意味がわかるようになったのもこの頃です」