社内の昇格制度で決まる日本企業のトップ選びの問題点
いまは「株主が会社の持ち主」とする考えが浸透していますが、当時はまだ「会社は経営者のもの」という考えが強かった。オーナー企業はもちろん、そうでない企業も社長が堂々と引っ張っていた。部長クラスでも強いリーダーシップを発揮し、前例のない新規事業への参入や投資に躊躇がなかった。日本企業の活力として大変な強みだったと思います。
翻って現代の日本企業で、強烈なリーダーシップを発揮する者がどれだけいるか。ソフトバンクの孫正義さんを始め、わずか数人しか名前が上がらないのではないでしょうか。この原因のひとつは、とりわけ日本の大企業の場合、社長・CEOの選出方法が「社内の昇格制度」で決まっていることだと思っています。オーナー企業は別として、生え抜きのサラリーマンが出世した先に社長の椅子がある。そんな流れが定着してしまっている。
どういうことかというと、バブル時代までは戦後の経済成長の段階で、松下幸之助さんや本田宗一郎さん、盛田昭夫さんといった伝説的な創業者がカリスマ性を発揮した時代とまだ地続きでした。こうした傑物たちの薫陶を間近で見てきた下の世代は、同じようにリーダーシップを発揮できました。しかし、その後がいけなかった。
日本経済は世界トップクラスに成長しましたが、社長の椅子は「社内の出世競争を勝ち抜いた者」が座るという慣例が踏襲され続けた。欧米の大企業ではごく当たり前となっている、何社もの大企業で経営経験があるいわゆる「プロ経営者」が抜擢されるケースがなかなか浸透しなかった。日本のトップ選びの問題点はここにあると私は考えています。出世の上手さと経営の上手さはまったく別であるという論点が置き去りにされてしまったのです。