2019年の発売直後から注文が殺到し大ヒット商品となったYakult1000の快進撃は、誕生から60周年を迎えたヤクルトレディ制度が支えていた。全国3万人のヤクルトレディの中でも、半世紀を超えて携わる北国のベテラン2人に密着した。
小野寺光子さん(81)は20代後半から約50年間、気仙沼市内で商品を届け続けている。
「私の家に宅配で来ていた方が引っ越すことになり、誘われたのがきっかけです。当時はヤクルトとジョアの2種類だけでしたが、昭和50年以降はミルミルなど徐々に商品が増え、今は数えきれないほど種類が多くなりましたね」
朝8時すぎに制服姿でセンターに到着。自家用車に商品を積んで準備を整え、朝礼を終えると宅配先へ出発する。
「元気に挨拶することを心がけています。商品全部の特長を憶え、体調を相談されると『こんなものもあるんだよ』とおすすめしたり、パンフレットやサンプルを持っていったりします。お客様には健康でいてほしい。お客様が元気でないと寂しいですから」
定期的に届ける商品とは別に、急に「あの商品も買いたい」と言われる時に備え、宅配鞄には商品を余分に入れている。その重い鞄を持ち、軽やかに市役所の階段を何度も昇り降りし、息も乱さず、スピーディーに廊下を歩く姿に驚かされる。アスリートのような機敏さだ。
「元気の源は仕事。お客様に感謝です。いまだかつて病気や天候で休んだことはないですね。昔は土日も仕事で息子たちが手伝ってくれた思い出も。自転車をこぐのも楽しかった。半世紀で一番つらかったのは震災の時だね……」
津波で仲間が亡くなり、約40年担当していた気仙沼湾近くの家や会社、店舗は流された。
「センターが再開できたのは3か月後。その間は、被災直後から倉庫の商品をトラックで避難所に届けていました」
大部分の担当場所を失った小野寺さんは、新しい担当エリアで宅配を再開。津波被害を受けた地域が復興していくと、新たな顧客も増えた。津波で全壊した「すがとよ酒店」を再建した女将の菅原文子さんは「お互いに頑張ろうねって、ヤクルトを介して元気をいただいています」と話す。