墓じまいや葬儀の簡略化など、古くからの慣習の見直しが進むなか、「法事」も例外ではない。定期的に親族が集まり、法要と会食を催すことで故人を供養する法事は、故人の冥福を祈るだけでなく、親族の絆を確かめる大切な意味を持つが、「親の代で法事は終わり」と考えている人たちも少なくないようだ。どのような理由からなのか。
法事を知らなかった大学生が初めて参加した感想は…
都内の私立大学に通う男子大学生・Aさんは、そもそも「法事」の存在を知らなかった。先日、祖母の十三回忌に初めて参列することになり、「そういう催し」があることを知ったという。
「親から『法事』のことを聞いた時、最初“掃除”と聞き間違えたし、字を見ても法律関係の手続きなのかなと思ったくらいです。僧侶と親族が故人を供養する仏教行事があるということを初めて知りました」
そして先日、祖母の法事に初めて出席したAさんは、「ただの宴会だった」と不思議顔だ。
「ググったら、法事では故人の供養や思い出を語り合うということでしたが、誰も祖母の話なんてしていなかったような……。僕にしても、記憶はあまりないですしね。結局、普通に親族が集まる宴会でした。まあ、顔を合わせる口実としての意味はあるのかもしれませんが、結局よくわからないまま時間だけが過ぎて、疲れました」(Aさん)
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