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《「世界の亀山」も今や…》大型液晶パネル事業から撤退のシャープ、躍進の立役者・元社長は「時代の流れだからね」 工場勤務の社員は戸惑いながらも冷静

シャープの大阪・堺工場から初出荷された液晶パネル(2009年/時事通信フォト)

シャープの大阪・堺工場から初出荷された液晶パネル(2009年/時事通信フォト)

40代社員は「ずっと変化がなかった」

 日本の家電メーカーで唯一、テレビ向け液晶パネルの国内生産を続けてきた堺工場。現場で働く従業員は約800人いる。現地で話を聞くと、戸惑いながらも冷静に受け止める声が聞こえてきた。

「2009年の稼働時から働いてきたが、東日本大震災後の2012~2013年あたりからテレビそのものが売れなくなっていた。パナソニックが尼崎工場を閉鎖(2013年末)したのを目の当たりにした時からこのままで大丈夫かとずっと思っていた」(50代社員)

 ただ、SDPの工場閉鎖を知ったのは発表の数日前で驚いたという。

「シャープ本社からの出向組とSDP社員に分けて従業員向け説明会が開かれました。閉鎖後の再就職先支援などが話されました。今後のことについてはまだ考えられていません」(同前)

 堺工場に長く勤める40代社員は「ずっと変化がなかった」と振り返る。

「2016年に鴻海に買収されて以降、一時は業績改善による待遇向上などもあって社員も喜びました。ですが同時に、液晶パネルを活用した新たな技術や製品の開発力、その売り先を見つける営業力などがシャープにないことも痛感していました」


■〈【全文公開】シャープの“液晶敗戦”と栄枯盛衰年表 工場勤務社員たちの想いと町田勝彦・元社長が語る「失敗の本質」〉を読む

※週刊ポスト2024年6月7・14日号

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