愛らしい白黒模様の動物を贈られた国の人々は、自然と中国に親しみを抱く。これこそ、中国のパンダ外交の狙いであると武田さんが続ける。
「中国でパンダは“友好の使節”や“最高の外交官”と呼ばれます。実際、パンダを贈られた国では大フィーバーが起こり、中国に対する感情が好転します」
その代表的な国がほかならぬ日本だ。現在、日本に8頭いるパンダはすべて中国から「貸与」されたもの。
「1960年代から、日本はパンダの誘致に積極的な姿勢を見せてきました。しかし、戦後、日本は台湾に渡った中華民国政府と講和条約を結び、北京に成立した中華人民共和国とは国交を樹立していなかった。中国との関係が未成熟だったためパンダの来日はなかなか実現しなかったのです」(家永さん・以下同)
1958年にイギリスに贈られたパンダ「チチ」が話題になるなど、日本でもその存在に関心が高まる中、1971年に昭和天皇がイギリス訪問時に自らのご希望でロンドン動物園を訪れ、パンダをご覧になったことがブームの決定打となった。1970年代に入ると中国が国連に加盟し、アメリカのニクソン大統領が訪中するなど国際情勢が大きく変化する。
「西側諸国と歩調を合わせ、日本も1972年7月に首相になった田中角栄が中国との関係改善に乗り出しました。田中は日本の首相として初めて訪中する一方で台湾と断交し、中国の周恩来首相とともに日中共同声明に調印しました。
この日中国交正常化を記念して、中国から上野動物園にカンカンとランランという2頭のパンダが贈呈されることになりました」
NPO法人東京都日本中国友好協会事務局の松尾史生さんが話す。
「1950年代後半から、中国と国交を正常化する必要があるという声は少しずつ大きくなっていました。田中角栄さんの訪中は、そこに至るまでにアプローチを積み重ねた結果です」
1972年10月28日、2頭のパンダが日本の土を踏んだ。羽田空港には「康康さん」「蘭蘭さん」と筆書きされた檻が用意され、パトカーの先導で上野動物園に向かい、翌日の朝刊には《パンダ到着早くも愛きょう》との見出しが大きな写真とともに躍った。一般公開の初日には徹夜組を含む入場者が上野駅まで続く2kmの行列を作り、「2時間並んで、見物50秒」といわれるほどの大混雑を呈した。