立ち食いスタイルが注目された「いきなり!ステーキ」やステーキチェーン店「ペッパーランチ」を生み出したペッパーフードサービスの創業者・一瀬邦夫氏(81)。業績不振のため2022年に退任したが、2023年秋には和牛ステーキ専門店「和邦(わくに)」を新たにオープンさせていた。80歳を超えてなお衰えることないバイタリティーの源泉は何なのか。一瀬氏に話を聞いた。【前後編の前編。後編を読む】
息子から「社長、辞めてください」
いわゆる「ドミナント戦略(特定のエリアに集中出店する戦略)」で全国各地に大量出店したあと、急激に店舗数を減らしていった「いきなり!ステーキ」。最後は副社長を勤めていた長男・健作氏から引導を渡されたという。
「各店舗の管理が手薄になり、うまくいかなかった。うちの息子から『社長、辞めてください』と言われてね。良い潮時だと思ったよ。ただ、会社のことに対して僕からあれこれ言われるのが非常に面白くないみたいなんだ。もう言わないことにしましたが、それでも息子とは正月に会ったりお墓参りに行ったりするし、家族としては普通に付き合っていますよ」
退任時は、やり切ったという思いだった。
「みんなに任したぞと。俺の敷いたレールを行けばちゃんと商売になるじゃない。悔しさなんて何もない」
そして新たに東京・両国にオープンしたのがステーキ店の「和邦」だ。だが、80代でのレストラン経営は決して楽ではない。2024年春には、不運にも店舗入口の階段で転んでケガをしてしまった。
「準備中に、トントントンと階段を降りていたらツルッと滑って、足を踏み外して前にドーンと倒れてしまい、左手の手首の骨を折ってしまいました。靴の底がステーキの脂で脂っぽかったせいかもしれない。後ろに倒れるのは嫌だなと思ったら前につんのめり、胸をガーンと圧迫してしまった」
現在はほぼ完治している。治りが早い理由は日頃から身体を鍛えているからだという。
「普段運動しているから、このくらいで済んだと思います。私は35歳から毎日、体操をしている。そのためか、腰痛になったこともない。毎朝、洗面所の鏡を見てニコッと笑顔になってスクワットしています」
ATMから13回、振り込んでしまった
骨折する前は、振り込め詐欺の被害にも遭っていた。2023年春、自宅に不審な電話がかかってきたという。
「墨田区役所の健康保険課を名乗る男性から電話があったんです。普段は受話器を取らずに留守電を確認しているのですが、この日に限って取ってしまった。素晴らしく誠意に満ちた声で『健康保険の還付金2万3000円を支払いたい』と説明を受けたんです」
相手の言葉を信じきってしまい、自身の携帯番号を伝えると、翌日午前9時にコンビニのATMに行くよう指示された。
「『本人確認のため口座番号と通帳の残高をお聞きします』と言われ、指示されるままに答え、振り込んでしまった」
翌日、翌々日も同じことを繰り返した。還付金はいらないから打ち切ってほしいと伝えたが、電話の相手は「これを打ち切ると、来年度の健康保険が受けられなくなってしまう。それでも良いのですか」と脅すようなことを言う。
さすがに不信感が募り、知人の銀行員に相談すると、即座に「それは振り込め詐欺です」と断言された。結局、13回もATMから振り込んでしまい、総額700万円を失った。だが、当の本人は明るい。
「あんなの不運でも何でもないよ。ああ、やっちゃったーとは思ったけどね。相手はもう逮捕されたんですが、お金は返ってきません。奥さんは笑っていたよ」
史上最年長「マザーズ上場」のご褒美に買ったもの
飲食の仕事を立ち上げて以来、お金には執着しない人生を送ってきた。
「27歳で独立した瞬間から、お金には不自由しなくなったんだ。欲しいものは何でも買えた。だからと言って、あれもこれも買いたいとは思わなかったね」
2006年、当時史上最年長の64歳でマザーズ上場を果たした。
「億単位のお金が通帳に入ってきたけど、極端に豪華なものは買いませんでした。自分のためのご褒美だと思って、ティファニーで80万円の時計を買ったぐらい。今使っている腕時計もセイコーの20万円ぐらいのものです」
上場企業の元社長にしては、質素とすら言えるかもしれない。
「“にわか成金”って言ったら失礼だけど、ランボルギーニみたいな思い切り豪華なものを買ったり身に付けたりする人もいるでしょ。でも、それを周りの人が見たらどう思う? 結局プラスにはならないって俺は分かるもの」
自身は5年前に1200万円ほどでベンツを購入したが、買い方は突発的だった。
「ジョギングしたままディーラーに入って、『ベンツください』って言った。アーマーゲー(AMG)っていう白いスポーツカー。最初は胡散臭いような目で見られたけど、名前を言ったら2階に通されて、対応が変わったような気がしたな。気のせいかもしれないけど」
欲深くないと語る一瀬氏だが、社長を辞してもなお挑戦を諦めない。81歳になって自らの店をオープン理由とは──。
■後編〈「大量出店はもうしない」いきなり!ステーキ創業者が81歳で和牛ステーキ店を開業、無給で厨房に立ち続けて感じる“仕事の醍醐味”〉につづく
【プロフィール】
西谷格(にしたに・ただす)/1981年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。地方紙「新潟日報」記者を経てフリーランスとなる。2009年~2015年まで中国・上海に在住。『香港少年 燃ゆ』、『ルポ 中国「潜入バイト」日記』など著書多数