キャリア

「大量出店はもうしない」いきなり!ステーキ創業者が81歳で和牛ステーキ店を開業、厨房に立ち続けて感じる“仕事の醍醐味”

毎年目標を書き、店内の壁に貼っている

毎年目標を書き、店内の壁に貼っている

「いきなり!ステーキ」や「ペッパーランチ」を生み出したペッパーフードサービスの創業者・一瀬邦夫氏(81)。業績不振のため2022年に退任したが、2023年秋、和牛ステーキ専門店「和邦(わくに)」をオープンさせていた。その後も数々の困難が一瀬氏に襲いかかるも、80歳を超えても厨房に立ち続ける気力は衰えない。一瀬氏に詳しい話を聞いた。【前後編の後編。前編から読む

「このまま終わりたくない」と、81歳で和牛ステーキ専門店を開業

 80歳といえば、一般的には引退してのんびり暮らしたいと考える人も多い年齢だろう。それでも「いきなり!ステーキ」の社長を退いたあと、なぜまた同じステーキ店を開こうと思ったのか。

「80歳になって、会社とほとんど縁が切れたわけですよ。これからどうしようかなと。1年くらいは毎朝、今日は何しようかなという日々でした。やることが決まってないわけですよ。映画見たりピアノ始めたり、小説やエッセイを書いたりしましたが、このまま終わりたくないなと思ってね」

 周囲からの後押しもあった。

「友人たちから『一瀬さんならきっと何かやると思う』と持ち上げられたわけだよ。体力的にも気力的にも充実しているし、自分もできると思って。僕は51歳で『ペッパーランチ』、71歳で『いきなり!ステーキ』を始めたから、81歳になったら今度は誰もやったことがないような、和牛ステーキの専門店を始めたいと思ったんです」

 店も軌道に乗ってきているという。

「一生懸命やっているんだから、趣味みたいなものかもしれない。でも、やることがあるって良いものだよ。朝起きて仕事行って、みんなと働く。時には旧知のお客さんも訪ねてきてくれるしね」

 根っからの仕事人間なのだろう。

「従業員が生き生きと働いて、自分が誰かの役に立っていることが嬉しい。あるところまでいくと、給料取ったって税金が増えるだけなの」

笑顔で取材に答える一瀬氏

笑顔で取材に答える一瀬氏

従業員に給料と気遣い、愛情を提供する

 話は経営哲学にも及んだ。

「もう少し利益が出てきたら、4人いる社員たちの給料を上げてやろうと思ってる。会社っていうのは、経営者が社員思いでなければ、絶対に成長しないんです。従業員は何のために頑張るかっていえば、まずは自分が幸せになりたいから頑張れるわけでしょう」

 社員やお客さんを喜ばせることが、会社の成長につながるという。

「与えることによって、与えられる。従業員には給料と同時に気遣いというか、愛情を持って接する。お客さんには、ニトリじゃないけど“お値段以上”の価値を提供する。『え、これでいいの』って言ってもらえるぐらいにね。美味しくて安くて感じ良いサービスのお店があったら、繁盛しないわけがない。商売なんて簡単、そんなに難しくないよ」

 ただ物を売るのではなく、客がどういう経験をして何に価値を見出しているかを考えなくてはいけない。

「繁盛しない店に限って、物を売るのが商売だと思っている。お客さんには『ここであなたから買いたいんだ』っていう気持ちになってもらわないといけない。でも、お客が来るのがだんだん当たり前になって、気の緩みや料理の緩みになる。そうして客を客とも思わない店になってしまう。そういう店、いっぱいあるじゃない」

毎日一瀬氏がつけている日記帳

毎日一瀬氏がつけている日記帳

朝10時半から夜8時半まで、厨房もホールも洗い場もやる

 一瀬氏は毎日日記を書くだけでなく、日々の生活や仕事のなかで気づいたことも、ノートにメモしている。

「気づいたことをその場でボイスレコーダーに吹き込んで、『計画実行実現ノート』と名づけたノートにメモするようにしています」

 現在、平日は毎日店に出ている。

「朝は10時半に入って、昼はだいたい午後2時まで。夜は5時半から8時半ぐらいまでいます。厨房だけでなく、ホールや洗い場の仕事も、何でもやっています。洗い物なんて早いものだよ。身体の動きは、若い時と変わらないね。従業員の動きが、先の先まで読めるもの」

「いきなり!ステーキ」のような大量出店をするつもりはない。

「店を増やそうなんて、あんまり考えていません。遠くから来てもらって、私の顔を見て一声かけてもらえるような店にしていきたいね」

 自由奔放な81歳の挑戦に今後も期待したい。

■前編〈いきなり!ステーキ・創業者一瀬邦夫氏(81)が明かす“社長退任後の生活” 「振り込め詐欺で700万円被害」「階段で骨折」それでも明るく挑戦し続ける〉を読む

【プロフィール】
西谷格(にしたに・ただす)/1981年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。地方紙「新潟日報」記者を経てフリーランスとなる。2009年~2015年まで中国・上海に在住。『香港少年 燃ゆ』、『ルポ 中国「潜入バイト」日記』など著書多数。

注目TOPIC

当サイトに記載されている内容はあくまでも投資の参考にしていただくためのものであり、実際の投資にあたっては読者ご自身の判断と責任において行って下さいますよう、お願い致します。 当サイトの掲載情報は細心の注意を払っておりますが、記載される全ての情報の正確性を保証するものではありません。万が一、トラブル等の損失が被っても損害等の保証は一切行っておりませんので、予めご了承下さい。