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【100周年】「阪神甲子園球場」誕生秘話 わずか4か月半で完成した東洋一の球場、スキージャンプや野外歌舞伎も開催、戦時中には大銀傘接収も

1924年8月1日に「甲子園大運動場」が誕生。この年の十干と十二支が「甲子(きのえ)」だったことから「甲子園」に(画像提供/阪神電気鉄道株式会社)

1924年8月1日に「甲子園大運動場」が誕生。この年の十干と十二支が「甲子(きのえ)」だったことから「甲子園」に(画像提供/阪神電気鉄道株式会社)

 建設工事が始まったのは1924年3月11日。

「いまほど労働基準法が厳しくなかったことと、期間中ほとんど雨が降らなかったことから、わずか4か月半という短期間で、甲子園大運動場は完成しました」

 当初は陸上競技場や球技場としても利用されることを念頭に設計されたため、グラウンドは三角形で、ポール際のコーナーが丸みを帯びた形状だったという。

グラウンドが歌舞伎の舞台に

 1924年8月には高校野球の前身、「第10回全国中等学校優勝野球大会(夏の大会)」が開催され、ここから甲子園は野球の聖地となっていく。とはいえ、野球以外にもさまざまな使われ方をしたのはいまと同じ。

「スキージャンプやテニスの大会をはじめ、球場内の一塁側には体育館(現在は一塁ブルペン)もあったので柔道や剣道の大会、市民によるラジオ体操も行われていました」

 ちなみに近年はJリーグやアメリカンフットボールの「甲子園ボウル」など野球以外の試合のほか、兵庫県西宮市内の小中学校が合同で運動会を行っている。

「スポーツ以外では、1939年8月に六代目尾上菊五郎一座が二塁ベース周辺に舞台を特設し、歌舞伎の公演を行いました」

 グラウンドに座布団を敷いて観客席を作って行った野外歌舞伎は歌舞伎ファンからも大盛況だったという。

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