トレンド

【阪神甲子園球場100周年】球場誕生時からの名物「甲子園カレー」は戦時中も存続…球場を巡る数々の逸話を振り返る

空前の「大ちゃんフィーバー」を巻き起こした荒木大輔さん(初の甲子園で「北陽」を完封した直後/写真=共同通信社)

空前の「大ちゃんフィーバー」を巻き起こした荒木大輔さん(初の甲子園で「北陽」を完封した直後/写真=共同通信社)

1年生エースとして活躍し、華奢で愛らしい見た目からバンビと呼ばれた東邦の坂本佳一さん(左)と、大矢正成さん(時事通信フォト)

1年生エースとして活躍し、華奢で愛らしい見た目からバンビと呼ばれた東邦の坂本佳一さん(左)と、大矢正成さん(時事通信フォト)

テレビ中継開始で生まれた名実況

 試合の模様はラジオ放送で伝えられていた甲子園で、初めてテレビ中継がされたのは1953年8月の高校野球夏の大会からだ。

 おりしも1953年はテレビ放送が始まった年。すでに人気があった高校野球見たさに、街頭テレビには人だかりができた。

「このテレビ放送が、甲子園の見方を変えました」と言うのは、野球実況歴44年で、実況家の小野塚康之さん(67才)だ。小野塚康之さんは1957年東京生まれ。1980年にNHK入局以来、野球の実況を担当していた。

小野塚さんは現在も高校野球地方大会で実況をしている(撮影/今村俊哉)

小野塚さんは現在も高校野球地方大会で実況をしている(撮影/今村俊哉)

「特にカメラが5台以上になって画期的に変わりました。これで選手の動きや悔しそうな姿、満面の笑み、うれし涙を流している背中、アルプススタンドの様子などが事細かに見られるようになり、視聴者も選手により感情移入できるようになりました。それで、アイドル的な存在や怪物と呼ばれるヒーローが生まれたのだと思います」(小野塚さん・以下同)

 テレビ中継で選手の動きが見られるようになると、数々の名実況も誕生する。

「実況はそのときに見たままを、感じたままの熱量を持って伝えることが重要です。高校野球では、1985年の夏の大会の決勝戦。宇部商業相手にPL学園の清原和博が、2本のホームランを放ったときに、朝日放送の植草貞夫さんが言った『甲子園は清原のためにあるのか』が有名です」

 名物アナのひと声が、高校野球をドラマチックなものにしている。

次のページ:歌手にとっても「聖地」のような存在に

注目TOPIC

当サイトに記載されている内容はあくまでも投資の参考にしていただくためのものであり、実際の投資にあたっては読者ご自身の判断と責任において行って下さいますよう、お願い致します。 当サイトの掲載情報は細心の注意を払っておりますが、記載される全ての情報の正確性を保証するものではありません。万が一、トラブル等の損失が被っても損害等の保証は一切行っておりませんので、予めご了承下さい。