「長者番付」を振り返ると、長く男性中心社会が続いた日本で、少ないながらも女性億万長者が存在したことがわかる。
かつて国税庁が発表していた「長者番付」について、『日本の長者番付』(平凡社新書)著者の菊地浩之氏が説明する。
「戦後まもなくの1948年(1947年分、以下同)に始まった制度で、当初は申告所得額を公示していたが、1984年から納税額の公示に変わりました。“億万長者のリスト”として重宝されましたが、個人情報保護の観点などから2006年に廃止されました」
制度が始まった1948年にいきなり6位(所得額1600万円)になったのが愛知県の杉浦つな氏。
「杉浦家は旧棚尾町(現碧南市)で雑貨商を営んだ地元の名士。三代目社長の治助氏は妹のつなさんに味噌醸造業の工場を任せていました」(郷土史家の磯貝国雄氏)
愛知県内に住む、つな氏の孫の男性はこう語る。
「祖母は治助の妹で間違いないが、暮らしは質素だったと聞いています。なぜ長者番付に入ったかはわかりません……」
その後、注目されたのが、1954年の近藤芳子氏(5位、所得額5861万円)・近藤雅子氏(8位、同4247万円)の姉妹。2人は近藤紡績所社長で「相場師」として知られた近藤信男氏の娘だった。
1960年代は松下電器産業(現パナソニック)の松下幸之助氏のような経営者が上位を独占したが、土地税制が改正された1969年以降、相続税対策などの不動産売買が盛んになり女性も登場するように。
代表例が、納税額の発表に変わった後の1987年に2位(納税額15億4003万円)だった三井姿子氏。
「三井財閥を成す『三井十一家』のひとつである室町三井家の当主・三井高大氏の未亡人で、戦前に住んでいた東京都千代田区一番町の660平米に及ぶ土地を売却して高額所得を得た」(菊地氏)
ほかにも1989年5位(納税額20億8127万円)の服部孝子氏(セイコーエプソン社長の未亡人)など前章の最新長者番付に「子孫」がランクインした有名企業の一族の名前がある。