1998年の推定年俸と納税額に“逆転現象”が発生
大久保のYouTubeで、槙原は桑田が右ヒジの故障から復活した後の長者番付を見て、「ウッ?と思った」という。「2年間ほぼ一軍で投げてないのに、発表された時に俺の上にいたんだよ。俺よりも給料の公示(推定年俸)が全然下だったのに」と話した。スポーツライターが補足する。
「桑田は1995年5月の阪神戦で右ヒジを痛め、翌年まで公式戦の登板がありませんでした。この年の推定年俸は1億4300万円でしたが、1996年は1億2000万円、1997年は1億円まで下がっています。その3年間、槙原は1億7200万円、1億7200万円、1億6000万円でした。“推定年俸”は槙原のほうが確かに上です」
槙原が指していると思われる1996年の納税額(1997年発表)と推定年俸を、斎藤も含めて並べてみよう。
■巨人3本柱の1996年の推定年俸/納税額
斎藤雅樹:2億7000万円/1億3401万円
槙原寛己:1億7200万円/6313万円
桑田真澄:1億2000万円/5109万円
推定年俸と納税額が比例しており、どちらも槙原より桑田のほうが低い。この状態は1997年も同じである。しかし、1998年になると、槙原が指摘した通りの“逆転現象”が起きている。同年の3本柱の推定年俸と納税額を比べてみよう。
■巨人3本柱の1998年の推定年俸/納税額
斎藤雅樹:2億9000万円/1億4310万円
槙原寛己:1億6000万円/6306万円
桑田真澄:1億円/1億2681万円
桑田は約2年ぶりに復活した1997年、10勝を記録。オフに現状維持の1億円で契約を更改していた。12勝をマークした槙原も現状維持の1億6000万円だった。これが1998年の“推定年俸”である。しかし、納税額は桑田が槙原の倍になっている。
これを見て、槙原は桑田の“本当の年俸”は自分より高いと感じたようだ。YouTubeでは「たぶん、斎藤とか俺とかがいるから、年齢的にね。その序列があるから、球団としては『こういう発表をしてくれ』と言ってんだろうな」と認識していたという。