ビジネス

【絶好調・日立製作所の研究】「よくここまで変われたなと思う」元社員が語る“縦割り”との決別 トップの先見の明と今後の課題

日立製作所の組織風土はいつから、どう変わったのか(2009年、川村隆・社長兼会長/時事通信フォト)

日立製作所の組織風土はいつから、どう変わったのか(2009年、川村隆・社長兼会長/時事通信フォト)

 かつて“日の丸家電”の代表格だった日立製作所は、柔軟かつ大胆に新規事業に取り組み、いまや従来のイメージとは異なるグローバルな企業に変貌を遂げている。転換を経て成長曲線を描くように見える日立の姿を、元社員はどう見ているのか。

 2003年まで日立で半導体部門に従事したジャーナリストで技術経営コンサルタントの湯之上隆氏は「私がいた頃は硬直した組織だった」と明かす。

「各社員のプライドもあって縦割りの弊害が大きく、中央研究所、デバイス開発センター、事業部の三つがあった半導体セクションは、競争はしても協力することは一切なかった。それが今や横串を通した組織としてルマーダ(DX支援事業)に取り組んでいる。よくぞここまで変われたなと思います」

 1973年に日立に入社し、日立インダストリアルプロダクツ・モノづくり統括本部部長などを務めた後、2022年に70歳を迎えるまで雇用延長で働いた福富昇氏(72)は「会社員人生の終盤は、なかにいても『組織の姿をよく変えるなぁ』と驚いていたほどです」と振り返る。

 退社後は中小企業などのコンサルティングに携わる福富氏だが、2008年のリーマンショックで大赤字に転落した直後は、まだ社内の危機感は薄かったと述懐する。

「どこかで『他部署や子会社が何とかしてくれる』という妙な安心感が蔓延していたと思います。その時点ではまだ、やることも判断もとにかく遅い会社だった」

次のページ:組織風土が一変“モノづくりからコトづくりに”

注目TOPIC

当サイトに記載されている内容はあくまでも投資の参考にしていただくためのものであり、実際の投資にあたっては読者ご自身の判断と責任において行って下さいますよう、お願い致します。 当サイトの掲載情報は細心の注意を払っておりますが、記載される全ての情報の正確性を保証するものではありません。万が一、トラブル等の損失が被っても損害等の保証は一切行っておりませんので、予めご了承下さい。