キャリア

《ヤメ日立たちの証言》セカンドキャリアで活かされる日立製作所「大赤字からのV字回復」を目の当たりにして学んだこと

打ち込め魂 仕事の上に

シェアハウスのオーナーとなり、ゲストと交流する百中氏(右端、本人提供)

シェアハウスのオーナーとなり、ゲストと交流する百中氏(右端、本人提供)

 67歳の百中宏幸氏は、1975年に日立グループの御三家と呼ばれた日立化成に新卒で入社した。ただ、その歩みは平坦ではなかった。

「日立化成の住宅設備部門で、まずは工場の生産管理などを担当しました。2001年、私が44歳の時に日立化成から住宅設備部門が分社化され、日立ハウステックという会社になりました。そして2008年、株式の過半数がファンドに譲渡されて日立という冠が外れ、ハウステックという会社になった。今考えると、当時赤字を出していた日立製作所の“選択と集中”が影響していたのでしょう」(百中氏)

「捨てられたのか」という思いもあったというが、サラリーマンとしての人生としては「学んだことは多かった」と百中氏は語る。

「日立系の会社の工場には“打ち込め魂 仕事の上に”というスローガンが掲げてあります。日立の魂ですね。日立の冠が外れた後は、そうした看板もなくなったけど、日立の魂はその後も私の中に生きています」(百中氏)

 2012年、ハウステックはファンドの株式売却により、ヤマダ・ホールディングス・グループの住宅設備部門となった。

「ヤマダに入ってからも役職は変わらず、サラリーマン人生としては人にも恵まれ、満足の行くものでした。2022年に退社した後は、生まれ故郷の三重県伊賀市に戻って、会員制のシェアハウスのオーナーを始め、お試し多拠点居住者をお迎えしています。サラリーマンではなくなりましたが、充実した毎日を送っています」

 そう話す百中氏は日立時代をこう振り返る。

「日立が数千億の赤字から立ち直った。それを可能にしたのは、現場を大切にする姿勢と、人を育て続ける会社であったからだと思っています。そう思うからこそ、私も年齢にとらわれずに挑戦したい。“打ち込め魂 仕事の上に”の精神を持ち続けていくつもりです」(百中氏)

「ヤメ日立」たちの挑戦は、まだ続いていくようだ。

次のページ:【写真】シェアハウスのオーナーとして働き続ける「ヤメ日立」の百中氏
関連キーワード

注目TOPIC

当サイトに記載されている内容はあくまでも投資の参考にしていただくためのものであり、実際の投資にあたっては読者ご自身の判断と責任において行って下さいますよう、お願い致します。 当サイトの掲載情報は細心の注意を払っておりますが、記載される全ての情報の正確性を保証するものではありません。万が一、トラブル等の損失が被っても損害等の保証は一切行っておりませんので、予めご了承下さい。