「頭はよくても跳び箱はできないんだ…」
近畿地方出身のUさん(30代/女性)は、小学生時代「公文(くもん)式学習」をしていたが、親からは「公文のことは学校では喋ったら駄目」と厳しく釘を刺されていた。
「公文の算数と国語をやっていたのですが、算数は小学5年生で高校2年生の基礎レベルまで終わっていました。ただこれは“公文あるある”で、ゲーム感覚でどんどん先に進む子というのは少なからずいるんです。高校数学といっても計算問題ベースで、図形とか応用問題を解くわけでもないですしね。
おかげで小学生時代、特に算数は100点以外取ったことがありません。テストも5分や10分で終わっていました。一方で、親からは公文のことは秘密にしろという厳命がありました。理由は『学校の勉強を先取りしていることがバレたら色々と面倒だから』で、意味はわからなかったものの、言いつけは守っていました。
とはいっても基本的に100点しかとらないので、勉強ができることはバレバレです。私はぽっちゃりで目が悪く、体育が苦手だったのですが、跳び箱が飛べなかったりすると、『頭が良くても跳び箱はできないんだ』と揶揄されたり、『勉強ばっかしてるからデブる』『メガネのガリ勉』などと大声ではやし立てられたりもしました」
「頭は良くても○○はできない」というフレーズは、他にも多数あったというUさん。
「『頭は良くても遅刻するんだ』とか、『頭が良くても字はヘタだ』とか。全然関係ないのに、勉強ができる人はすべてのことができて当たり前で、人格者であるべきみたいな目線は面倒くさかったです。ただ、中学で大阪の中高一貫校に行くと、私は凡人。スゴイ人ばかりの衝撃で凹みましたが、いかに自分が小さな世界にいたかということはわかったように思います」(Uさん)