大竹聡の「昼酒御免!」

「江戸っ子だってねえ!」神田の老舗蕎麦屋で「蕎麦前」から喉越し抜群の「もりそば」まで堪能し尽くす酒飲みの注文

蕎麦屋で海を感じる

蕎麦屋でのみ遭遇できる甘さとほろ苦さの組み合わせ

蕎麦屋でのみ遭遇できる甘さとほろ苦さの組み合わせ

 10月末の某日。昼夜を問わぬ酒友であるケンちゃんは、そんな私を店の前で待っていてくれた。時刻はちょうど午後2時。すんなりとテーブルについて、座るなり注文のひと言を発する。

「ビールちょうだい」

 すぐに運ばれてくるのは、瓶ビールと、蕎麦味噌。箸の先で少し硬めの味噌を崩し、箸の先にくっついてきた味噌を舐める。ひと舐めでこそぎ落とせぬところは、上下の歯で箸を挟んで引き抜き、味噌を味わう。この甘い蕎麦味噌とビールのほろ苦さの組み合わせというものは、私も長いこと酒を飲んできたけれど、蕎麦屋においてのみ遭遇する味の組み合わせであるなあと、いつも思う。

 そして、この味噌、香ばしくてほんのり甘いのだが、日本酒の甘みにもぴたりと寄り添う。この小皿ひとつ分の味噌で、徳利2本くらいがちょうどいい。

 いやいや、せっかく「まつや」へ来たのだ。蕎麦前を楽しむべきである。テーブルの上のメニューを眺める。さて、何にしよう。

「焼き海苔、いいですねえ」とケンちゃん。
「欠かせませんな」と私。
「親子煮というのは、親子丼のご飯なしってことですかね」
「蕎麦の抜きならぬ、飯の抜きであるか」
「あたま、とか言いますよね」
「丼のあたま。三鷹じゃ聞いたことなかったけどね」

 まあ、とにかく、親子丼の具、ということなのだろう。頼む前から、その姿が見え、甘じょっぱい匂いが漂ってくる。ちょうどそこへ、お姐さんが通りかかった。

「すみません! 焼き海苔と、親子煮。それから酒を燗で」

 ぱりぱりの焼き海苔を噛み、口中と鼻腔に香る海の匂いを確かめながら、ほどよい具合の燗酒を猪口に注ぐ。先刻まで蕎麦味噌の素朴な香りとの相性を楽しんでいた日本酒が、潮と磯の風味に合わせて別の顔を見せてくれる。細長いマッチ箱くらいの焼き海苔の2枚もあれば、やはり徳利1本はいける。つまり私のこの日の気分としては、蕎麦味噌と焼き海苔でお銚子3本、というなかなかいい盛り上がりなのである。

焼き海苔も親子煮もあまりにも酒に合いすぎる

焼き海苔も親子煮もあまりにも酒に合いすぎる

「海苔、うまいですねえ」
「うん。うまいね」
「海苔、なんだけどなあ」
「モノが違うのかな。それもあるだろうけど、俺たち、長いこと、海苔を喰ってきて、それでも実は、最近、うまい海苔を喰ってないってことなんじゃないの?」
「いい海苔、悪い海苔、あるんですかね」
「ウンチク垂れてもしょうがないけど、うまいものはいいよな、と気づかせてくれるのはありがたいね。釣り好きのあなたはしょっちゅう海へ出てうまい魚を釣りまくってるけど、こちとらはインドア派だ。蕎麦屋で海を感じてる」

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