棺桶の横に布団を敷いて3人で寝る
これまで親戚の葬儀には2回しか参加したことがありませんでした。毎度母から事後報告で伝えられるんですよ。「○○伯父さんが亡くなった」などと。挙句の果てには母方の祖父母の死さえ事後報告だった。その時に毎度言われたのは「アンタは仕事が忙しいだろうから来る必要はない」です。
確かに当時は多忙だったため、葬儀のために九州へ行ったりするのは難儀でした。だからこそ、母のこの配慮はありがたかった。しかし、今回は私が福岡県の隣の佐賀県に住んでいることから、「アンタ来れる?」と電話をかけてきて「そりゃ行くさ」と3時間かけて八幡まで行ってきたのです。
次は叔父の葬式で皆に会うのかな……、いや、両親の葬儀の方が先かな……なんてことも考えてしまうのですが、今回は参加して本当に良かった。宴会の後、私と父と叔父は控室の畳の上に布団を敷いて3人で寝ました。母と姉は別の個室のベッドへ。控室には叔母が入った棺桶が安置してあり、アルコールランプの灯がゆらゆらと揺れ、天井に反射していました。
途中、高齢の父と叔父は起きて小便をしたり、暗い中で会話をする。私は福岡市で打ち合わせがあったため翌日の告別式には参加できず朝早くに葬儀場を出ましたが、しみじみと「良い一日だった」と感じたものです。
葬儀場に泊まる場合、私の場合は「布団を使うと4810円」ということになっていました。要は宿泊料です。布団には結束バンドが付いており、これをハサミで切るとそこで料金が発生するというシステムです。果たして寝袋を持って来たり、一つの布団を2人で使った場合はどうなるのか?なんてことも思ったものの、亡くなった叔母にとっては最後のイベントである葬式でケチは言うまい。叔母の肉体が存在する最後の夜の空間を共にできて本当に良かったです。同時に、葬式というものは生き残った者の再会と結束のために存在することをしみじみと感じられたのです。
【プロフィール】
中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう):1973年生まれ。ネットニュース編集者、ライター。一橋大学卒業後、大手広告会社に入社。企業のPR業務などに携わり2001年に退社。その後は多くのニュースサイトにネットニュース編集者として関わり、2020年8月をもってセミリタイア。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)、『縁の切り方』(小学館新書)など。最新刊は倉田真由美氏との共著『非国民と呼ばれても コロナ騒動の正体』(大洋図書)。