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あぶない中国共産党

中国・習近平主席が一家もろとも辛酸を舐めさせられた「文化大革命」のトラウマ 当時の中国人が毛沢東に抱いた「尊敬と畏怖」の背景

「文化大革命」で壮絶な経験をしたという習近平氏(写真=中国通信/時事通信フォト)

「文化大革命」で壮絶な経験をしたという習近平氏(写真=中国通信/時事通信フォト)

 かつて毛沢東の号令で始まった中国の文化大革命で、実働部隊となったのは学校や工場で組織された「紅衛兵」だった。その暴力的為は凄まじく、多くの党幹部や知識人が攻撃されたが、習近平・中国国家主席も「文化大革命(文革)のトラウマ」を経験していた。中国の歴史や文化、社会に精通する社会学者の橋爪大三郎氏と、元朝日新聞北京特派員のジャーナリストでキヤノングローバル戦略研究所上席研究員の峯村健司氏が解説する。(両氏の共著『あぶない中国共産党』より一部抜粋、再構成)【シリーズの第15回。文中一部敬称略】

 * * *
橋爪:文化大革命は、習近平の反腐敗キャンペーンほど洗練されていなかったので、攻撃が激化するうちに、誰が誰を打倒するのかよくわからなくなった。コントロール不能な状態になった。

 紅衛兵の拠点は学校や工場です。そこで顔見知りが集団となって、徒党を組んで活動する。通常なら党組織のもとに統制がとれているはずが、紅衛兵はその党を攻撃するので、指示系統はあってないようなもの。毛沢東の指示により、文革を支持する共産党幹部が反対派の幹部を打倒するという流れですが、文革派の幹部がほんとうに毛沢東につながっているのか、実はよくわからない。

 紅衛兵の攻撃を恐れる党幹部は、自分の身を守るため、自分たちの息のかかった若者を組織して、自分たちの紅衛兵をつくります。紅衛兵をどう組織するのか決まりがないから。その結果、あっちにもこっちにも紅衛兵の組織ができて、どれが正しいのかわからない。派閥抗争です。気がついてみると、いくつもの紅衛兵グループができて内乱状態になる。紅衛兵の敵は「反革命」なので、武闘で相手をやっつけるしかない。だから、文革では大勢がリンチを受けたり、殺害されたりしました。銃で撃ち殺されたりもした。銃は軍からもち出されていたらしいです。北京でも天津でも武漢でも上海でも、どこでも起こったことです。

峯村:文革において人民解放軍の存在感はあまり大きくなかったようです。

橋爪:そこは慎重に考えなければいけないポイントですね。

 文革のごく初期には、軍のなかでも動きがありました。部隊に紅衛兵組織をつくろうとした。でも早い段階で、やめさせられた。人民解放軍は、文革の枠外とされたのです。毛沢東がそのように指示した。だから軍には、文革が波及しなかった。

峯村:たしかに、共産党は文革の最中でも軍のコントロールをし続けました。

橋爪:文革がだんだん混乱状態に陥って収拾がつかなくなると、軍を使って秩序を回復するしかありませんでした。軍の部隊が都市に入って、政府の機能を代替し始めます。一種の軍政です。労働者代表+革命的共産党幹部+軍人、の三者の結合で、「革命委員会」の看板を掲げて秩序の回復にあたった。

 軍人が、文革がきっかけで行政に携わるようになり、軍籍を離れて党幹部として実務を担当するようになったケースは、中国全土で見られました。

 この段階になれば、紅衛兵はもう用済みです。なすことなく都市でぶらぶらする、ただのゴロツキになってしまった。そんな学校も仕事もない紅衛兵くずれの若者を、毛沢東は全員、辺鄙な農村に送り込んだのです。「上山下郷」です。

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