解剖学者で東京大学名誉教授の養老孟司氏(87)が「がん」になった。現代の医療システムに異を唱え、「検査嫌い」「病院嫌い」を公言してきた養老氏は、どのように「がんの壁」に立ち向かったのか──。【全3回の第1回。全文はこちら】
「ただの肩こりじゃねえ」
〈どんな病気だって死ぬ可能性はあるし、生まれた以上、誰でも死ぬんだから。がんを告知されても『えー、がん? あっ、そう』」で済ませればいいんですよ〉
今から20年前、本誌『週刊ポスト』(2005年8月12日号)の取材にそう話していた養老孟司氏(87)。当時67歳だった養老氏は、日本人の2人に1人に立ちはだかる「がんの壁」について、自身の死生観を重ね、こう持論を展開していた。
〈がんは早期の発見が大切だとよくいわれるが、それも現代人の錯覚。早期がんが本当にがんなのか、放っておかないとわからないしね。僕ががんになったら? それはその時に考えます(中略)がんのことをよく知っている医者は、脳卒中や心筋梗塞なんかより「がんで死にたい」と思う。それは死ぬ準備ができるからです〉
それからおよそ20年。養老氏が自身の身体に異変が起きていることを察知したのは、昨年春のことだった。
「昔から肩こりはあったけど、その半年ほど前から、今までの肩こりとは違う右肩の激しい痛みに悩まされるようになってね。最初のうちは五十肩(肩関節周囲炎)だろうと思っていたけど、痛みがだんだん背中に広がるようになってきた。寝ている時も痛くて、症状は悪化するばかり。『こりゃ、ただの肩こりじゃねえや』と考えるようになったんです」
本人はそう振り返る。
「鍼灸師の娘が鎌倉の実家に帰ってきた時は、いつも肩をもんでもらっていました。背中の痛みを訴えると、彼女は専門知識を活かし、僕の身体を色々と調べてくれた。その結果、やはり『ただの肩こりとは思えない』と。内臓疾患、とくに肺の異変が疑われると言うんです。すぐに病院で診てもらうよう強く言われました。でも僕は病院に行きたくない。面倒くさがってグズグズしているうちに娘が検査の手配をしてしまった(苦笑)」
かくして養老氏は「しぶしぶ」ながら、古巣の東大病院(東京大学医学部附属病院)を受診。そして、がんを告知されることになる。