そうして迎えた12月初旬、川崎さんは緊張しながら、エストリルに到着。
「準備してきたヘルメットを取り出すと、そこには、それまで使っていたアメリカ伝統のヘルメットブランドのもの、さらには日本のヘルメットメーカーのものが、すでに用意されていました。仮に私が作ったものが気に入らなければ、他のものを試す。来たるシーズンのタイトル獲得と、なにより自らの命を託すヘルメットであれば、用意周到になるテストは当然のことです」
内外の一流ヘルメットメーカーとともに、自分たちのブランド「RHEOS(以下、レオス)」のヘルメットが並ぶ。その状況を見るだけでも「緊張感は自然に高まっていきました」。
トライアルバイクを操る川崎さん。クルマのデザイナーとして初めてトライアル国際A級を取得し、レースに出ればプロ並みの成績を残していた川崎さん。この経験もあり、ヘルメットの開発にも携わっていく
1971年発売の「ベンリィCB50」の販売キャンペーンで「専用ヘルメットプレゼント」という企画があり、販促用ヘルメットのデザインを担当。当時の雑誌広告
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