北九州の祖母から言われた「男はそげんことせんでよか!」
私の母は北九州市八幡東区出身で、私は幼稚園の頃から小学6年生まで毎年夏休みになると、東京から八幡に帰省していました。毎回2週間~1ヶ月ぐらいだったのですが、家で両親から言われてきたことと、八幡の祖父母から求められる行動が違うのです。帰省先の家には祖父・祖母・叔父(母の弟)・叔母(嫁)・いとこの女性2人(私より年下)の6人が住んでいました。たとえば私が一人で行った時の場合はこうなります。
食事の時間は祖父が指定した時間となり、配膳は祖父→叔父→私の順番で、その後に祖母といとこ2人が席に着きます。序列としてはとにかく「男が上」となっていました。仮に私がいとこより年下だったとしてもこの順番でしょう。
叔母は給仕係のように忙しなく動き、祖父と叔父が「お茶!」と言ったらすぐ注ぎます。ご飯や味噌汁をおかわりする時も叔母がよそいますし、ご飯が少し余った時にウニの瓶詰やら高菜漬けを冷蔵庫から持って来るのも叔母の仕事。食事が終わったら祖父と叔父はテレビを見に居間へ行く。私は母から教えられたように、食べ終えた食器を流しに運んだのですが、初日の夕食後に祖母からこう言われた。
「アンタ、男はそげんことせんでよか! 嫁女(よめじょ)にやらせりゃよか! はよテレビ見に行きんしゃい」
私の母は食べ終えたら食器は流しに置き、テーブルを拭くように姉と私に指導していました。当時、私の父親は海外赴任していて、我が家は実質3人家族でした。そこで普段やっていることをやっただけですが、祖母からはそれはやらないでいいと言われる。叔母は他の6人の食器を洗い終えた後、残ったものを一人で食べるのです。
どうやら私の母は、九州のこういった空気感と風習がイヤで東京へ進学したようです。時は1964年、女子の大学進学率が11.6%の時に東京の大学へ。そこではウーマンリブの活動家に傾倒したと言います。
母が祖父母宅に行った時は、叔母を手伝おうとします。すると祖母は「あんたはそげんことせんでよか」と言う。やはり「嫁女」を使い倒すもので、我が娘、そして孫娘はあまり働かせないで良い、と考えているようでした。叔母も「お義姉さん、いいですよ~」と言うのですが、母は「2人でやった方が早い」とやり取りしていたのを覚えています。